週刊文春が舛添都知事を叩き続けている。そのあとを、テレビの情報番組が群れをなして追いかける。最近、すっかり定番と化した風景である。


 先頭を走る文春に文句はない。問題は、あまりにも安直な情報番組だ。“返り血を浴びる恐れのない低リスクのテーマ”(たとえば大手事務所に所属しない芸能人の醜聞、たとえば無名の陣笠議員の素行不良……)と判断した途端、怒涛の勢いでターゲットを袋叩きにする。ワイドショーは昔からそうだった、と言われればそれまでだが、最近、とくにこうしたやり口が露骨になった気がする。


 知事を擁護する気は毛頭ない。ただ、あまりにも卑小な醜聞を延々と聞かされても、もはや感覚はマヒしてしまっている。新しい“小ネタ”にも、「さもありなん」という感想しか浮かばない。ことの本質は税金の無駄遣いだが、選挙をやり直す作業にも膨大な血税がかかり、悩ましい。


 舛添氏に関しては、約四半世紀前、ノンフィクション作家の吉田司氏が相当にドギツイ記事を書いていた。アエラに今も続く「現代の肖像」という人物ルポ。この欄には私も何本か書いたことがあるが、近年は取材対象者の協力を得ることが大前提となっている。アエラが創刊された当初は違っていた。


 とくに吉田氏の作品は、ほとんど周辺情報で書き上げる独特のスタイルで、そのタッチは驚くほど毒々しい。当時、「朝まで生テレビ」などで気鋭の論客だった舛添氏についても、その故郷・北九州市の幼なじみを訪ね歩き、大切な人間関係を断ち切っても、ただひたすら“上”を目指す、えげつないまでに貪欲な上昇志向が描かれていた。


 吉田氏はほかにも、例えば、自民党で人気絶頂期にあった橋本龍太郎氏(のちに首相)を取り上げ、水俣病患者らの陳情を厚生大臣として受けた際、傲慢な対応ぶりだったことを描写した。橋本氏はこの記事に相当なショックを受けたらしく、その晩年、自身の過去を振り返る形で、水俣病患者への接し方を悔やむ言葉を漏らしていた。


 そう、優れた人物ルポは対象者の人間性にまで肉薄するものであり、その意味で言うと、今回の問題で浮上した舛添知事のいびつな品性は、実は四半世紀も前に吉田氏によって指摘されていたのである。


 今春の文春は、事務所との軋轢で注目されている女優・能年玲奈の母親独占インタビューも掲載し、事務所べったりのスタンスで能年を責め、芸能界引退説まで流布している芸能マスコミを“報道リンチ”と批判している。ネット情報によれば、文春が能年サイドに立ち、能年が“微妙な存在”となったことで、テレビ各局は彼女に「当分さわらない」姿勢に転じたという。弱腰のテレビメディアには、ありそうな話である。


 週刊新潮は、先に強制わいせつで逮捕された東大生・院生計5人の中に、「女子中高生に見られる性的モラルの低下は、亡国の教育の責任」と常々力説する自民党のタカ派・山谷えり子参議院議員の親戚がいる、と暴いている。今週の同誌は、安倍首相がサミットで「リーマンショック前夜」と無理やりに主張したことも特集で批判して、ある意味、新潮らしからぬ権力批判を見せている。ポストが特集した認知症患者への“パソコン備忘録の勧め”も興味深い。

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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。