舛添都知事が政治資金の公私混同問題で、とうとう辞任に追い込まれた。かつてなく、みみっちい“大スキャンダル”であり、批判にさらされるも当然だと思うが、それにしても、この間のメディアによる“総バッシング状態”は、いささか常軌を逸していた。
評論家の宇野常寛氏が情報番組で「総額1000万円にも至らない不正で、46億円かけて再選挙をするのは馬鹿馬鹿しい」とコメントしたそうだが、至極もっともな意見だと思う。責め立てる取材陣の中には「どうすれば辞めてくれるのか」と知事に詰め寄った記者までいたらしい。甘利明前経産大臣にも、そんな口の利き方をできるなら、大したものなのだが……。
疑惑追及の先頭を走り続けた文春はいい。その後ろを、群れをなして追いかけ、相手が反撃してこない「水に堕ちた犬」と見極めると、尋常ではない叩き方をする。対象者の背後に“強大な力”が存在するSMAP騒動のようなケースでは、腫れ物に触るような報道しかできないのに、“弱い相手”には、信じがたいほど強気の攻め方をする。ベッキー騒動も然り。もはや「弱い者いじめを楽しむ」という性向は、我々の国民性のひとつと認めざるを得ない気がする。
そんな中、文春は果敢に新テーマに挑んでいる。東京五輪招致をめぐるあの裏金疑惑である。イギリスの報道を引用する形で、お茶を濁すだけで終わった招致委員会による不透明なコンサル料の問題。今週の文春によれば、あのとき取り沙汰された2億3000万円をさらに上回る11億円ものカネが、JOC竹田恒和会長の幼なじみでもある電通元専務の会社に“招致マネー”として支払われていたという。
秘密に包まれた工作資金のため、その使途を突き止めるのは容易ではなかろうが、新聞やテレビなどが舛添知事追及のような総がかりの構えで取り組めば、その暗部の幾ばくかは解明できるかもしれない。報道記者たちには、たまには、こういう強大な対象にも挑んでほしいものだ。
週刊新潮は、ダウンタウン松本氏の土地売買を追った独自の記事を載せている。これはこれで手間暇のかかる取材であり、その意味では敬服するのだが、その努力の方向が、私にはどうもピンと来ない。
あと、記事の本筋とは関係ない話だが、文春の舛添知事追及記事の中で、舛添氏と謎の「出版社社長」との関係を知る女性社長を直撃したシーンが面白い。「ふざけるな!アポイントも取らずに自宅へ来る……」と社長は記者を面罵するのだが、「まぁ、いいか、入れ」と結局は、自宅に記者を招き入れるのである。
いったいなぜ、記者は取材先の自宅まで押し掛けるのか。一般の感覚では、常識の欠如した蛮行に見えるに違いないが、時にはこういった意外な展開も起こり得る。だからこそ、記者は塩を撒かれ、水を撒かれ、怒鳴り散らされて追い払われることを覚悟したうえで、この手のチャレンジを続けるのだ。
数知れぬ屈辱的な体験を積み重ねたその先に、ごく稀に報われる思いをすることがある。そういった“職業的真理”が存在することも、先駆的な仕事に取り組まない取材者には、知り得ないことだ。
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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。