<医療過去未来>「適正寿命」の時代が来た(2-2)

 前回は、人口動態の変化、その将来推計から医療制度改革への影響の素地を眺めてみたが、今回はその人口の高齢化を背景にした社会保障費用、特に医療費に関する財源問題などをざっくりとみていきたい。

 人口の高齢化、少子化、それを背景にした社会保障費用の問題、とりわけ医療費の問題は公的セクターからの発信としては、底流に経済成長へのネガティブな影響を意識したものが断然多いといって差し支えない。現状のままでの医療制度、介護制度も含めて維持を続ければ、日本の財政はもたない、国債償還費用と社会保障費で国の一般会計はなくなってしまうという恫喝のようなキャンペーンが力を持ち、それを首肯する議論が関係者だけでなく、社会的評論の中でも勢力を持ち始めている印象は強い。

 そのもっとも基本的な姿を現したのが、13年8月に出された社会保障政策会議の報告書であろう。「地域での包括的なケアシステムを構築して、医療から介護までの提供体制間のネットワークを構築することにより、利用者・患者のQOLの向上を目指す」という提言が骨子のこの報告書は、地域包括ケア体制づくりの錦の御旗となり、18年の診療報酬、介護報酬改定への影響、医療サイドには、在宅や紹介医療を担う総合診療医の専門性論議などの具体的な行動に反映されはじめている。

●財政的効果より現場へのしわ寄せ?

 財政危機論、危機の元凶としての医療費といった図式で考えると、地域包括ケアという仕組みの構築は、公的財源の緊縮化に結び付くかもしれないが(それもかなり楽観的な推測にみえるが)、立場を変えてみれば、利用者・患者、体制を支える医療・介護の関係職種に負担を増えさせるだけの政策にしか見えなくなることもある。

 社会保障制度の専門家からもそうした懸念は発信されている。一橋大学大学院教授の猪飼周平氏は、地域包括ケア政策がそもそも高齢化対策として推進されることに懸念を示している。

「高齢化対策が、高齢者のQOLを増進するという意味であれば、地域包括ケアが目的にかなうものであることは確かですが、高齢化対策が、財政的な危機を乗り切るということを意味するのであれば、目的に対して不合理な手段が用いられているということになります。というのも、地域ケアは基本的にケアをより高価なものにする可能性が高いからです。地域ケアを無理やり安上がりにしようとすれば、例えばケアを家族に押し付けるなど、劣悪かつ非効率なケアシステムが出来上がってしまい、政策としては逆効果になってしまいます」(地域包括ケアの課題と未来)

 猪飼氏は、そのうえで「地域包括ケア」というひとつの政策によって効率的なケアが構築できるというのは幻想にすぎないと述べている。社会が要請する包括性を備えていないとも。

 こうした懸念は猪飼氏のような学者だけではない。クリアに論理的にその矛盾をつけなくても、地域包括ケアという政策が概念ではなく、具体的な政策として登場してきたことに違和感を持った国民は多いと思う。残念ながら、こうした政策提案、政策論議に無関心なのは大きなメディアだけである。地域包括ケアに関して、その提案に疑問をはさむ、より具体的な検証に裏打ちされた解説、ないしは疑問を示した論調にお目にかかった記憶はあまりない。

 筆者は、それで思い出すのだが、介護保険制度が成立した99年頃の自民党首脳が、テレビカメラの前で、「時代なんですかね。私は家族が老人の世話をするのが日本の美風だと思っているので」と、あからさまな不快感を示したことが忘れられない。美風意識がまだ残っているとしたら(たぶん色濃く残っているはずだ)、地域包括ケアの行方は現状にある老老介護や、介護失業、孤独死といったネガティブな問題を増幅するだけになるかもしれない。そうして考えていくと、鳴り物入りで喧伝されている「地域包括ケア」は、社会保障政策全体の視点からの設計感覚を欠いた、弥縫策としか映らなくなるのである。

 むろん、地域包括ケアの先行きにあるのはこれまで述べてきたような、地域の現場での先祖がえり、美風思想だけではなく、生産人口世代の負担拡大という大きなテーマも内在する。そう考えると、弥縫策の印象はさらに色濃くなる。

●無策で増えた70年代の医療費

 ここからは政策への懸念の背景にある費用、財政に関してみていく。テキストとしては、14年4月に内閣府が公表した「社会保障の現状について」をベースにする。むろん、こうした政府サイドの資料は、地域包括ケアを推進するための補強的ペーパーである。そのことを割り引きつつだが、そこに示された数字を拾ってみる。表で見た方がわかりやすいという意見は当然だが、改めて文章にした方が、実感は掴みやすいのではないか。ということで、ここではあえて文章で数字を追ってみたい。

 まず、社会保障給付費の推移をみると、今から46年前の70年の給付費総額は3兆5000億円、当時の国民所得額は61兆円であり、占める割合は5.7%である。構成割合は年金が24.3%、医療58.9%、福祉その他16.8%。

 次に10年後の80年は、給付費総額24兆8000億円となり、この10年間で社会保障給付費は7倍に膨らんでいる。国民所得額は203兆9000億円、ちょうど国民所得のほぼ倍のペースで社会保障費用は膨らんでいる。構成は年金42.2%、医療43.3%、福祉その他14.5%。とくに年金の伸びが大きい。この頃から、高齢化はすでに予兆として顕在化し、5倍程度に増えたとはいえ、医療費10兆7000億円にすでに肩を並べている。極めて大胆に分析すれば、年金受給者の増加を反映する高齢者の増加ぶりが、そのまま高齢者の医療費に反映されているとみるべきだ。

 老人医療費の無料化が実行されたのは73年で、病院が老人のサロンになっていると揶揄され始めたのも、この間である。これに国民所得がついていければ文句はないが、78年にはオイルショックもあった。経済成長と、社会保障給付費の伸びにギャップが明確化したこの時代に、社会保障政策に関する思い切った制度再設計が行われてしかるべきだったということはできる。後悔先に立たずの論のように聞こえるかもしれないが、当時の為政者は、将来の展望を欠いた政策で前例を学習しながら進めてきたのだと思わざるを得ない。どこか、前述した「美風」論に通底し、本質的な日本の権力者たちの社会保障に関する無関心さが見え透くのだ。

●80年代に表出した医療費膨張の危機感

 90年、社会保障給付費総額は47兆2000億円、80年からはほぼ倍増しているが、国民所得額は346兆9000億円で、1.7倍にとどまる。この間、ようやく社会保障財政に対する為政者側の危機感も出始めた。83年には厚生事務次官が「医療費亡国論」を唱えて物議を醸し、86年以降は医療法を改正するなど、医療費政策を中心に、総量規制の時代に入ってくる。高齢者の医療費を抑制するため、老人病院の類型化などが始まり、在宅医療に関する論議も一部本格化している。

 ただ、この頃は、在宅医療は施設医療よりも高額化するという意見が主流を占め、主要な医療政策改革の目玉とはならなかった。つまり、いわゆる寝たきり高齢者の医療費に関しては、危機感の中でそれほど大きなウェートを占めていなかったことが推定される。関心は、「社会的入院」にあり、「平均在院日数」にあった。

 90年の社会保障給付費の国民所得に占めるシェアは13.61%で、社会保障費用全体でみると、1.5ポイント程度しか伸びていない。構成をみると、年金が50.9%で初めて医療費(38.9%)を上回り、年金給付はこの10年間で倍以上に伸びた中で、医療費は国民所得と同程度の伸び率である。逆にいえば、医療費自体は、すでに80〜90年代の間で、その伸長は国民所得の伸びと同程度という水準はクリアしている形になる。あくまで年金との相対的な感覚でいえば、医療費を抑制する素地はできていたようなニュアンスもこの数字からは感じ取れる。(幸)