今回から、高齢者を軸にした生活の問題。下流老人という言葉に代表される、高齢者全体に関する問題と、その横にある少子化、老親介護と子の生活も支える板挟みの状況、高齢者間の資産格差の拡大などをみる。


 むろん、その構造を語る中では、地域の格差、医療・介護サービスの供給の偏差なども入るし、経済問題としての「食えるか、食えないか」の課題と、身体的・生理的問題としての「食えるか、食えないか」の問題に言及しなければならないだろう。


 今回からは、そうした考え方を基本に、各種の統計関連の資料を軸に、実態を観測し、統計の隙間にある課題を点検しながら、「適正寿命」という世論形成の誘導への是非、ここでは「警戒」に近い問題の所在を考えていきたい。


 とりあえず、高齢化という現況の数値の把握からみていくが、前述した「実態を観測」という言葉は、これからとりあげる各種の統計調査は、あくまで全国的な平均値であり、高齢者の健康、生活の平均値である。地域による違い、世帯個々の違い、高齢者のおかれている環境は個々にまちまちであって、実態はそれぞれに違う。すべてをみることは不可能だが、こうした問題をみていくときに、統計、調査報告というものは、照らし出すのは側面でしかないということの理解だろうと考えたい。


 高齢化を財政論で考えるために醸成されようとしている「適正寿命」という考え方は、本来、多元的であった人々の生き方を一元化にもっていく思潮が陰に隠れている。統計、あるいは政府系報告ばかりを鵜呑みにすると、そうした一元的な主張に迎合しかねない。それを念頭におきながら、これからいくつかの資料を眺めていくことを了解願いたい。


●格差拡大をイメージさせる高齢者の生活の質


 知人がグループホームで働いている。すでに勤続10年以上になるが、彼の話では老人介護施設の状況は、少しも改善の兆しがないという。彼が勤めるグループホームの入所者はほとんどが認知症の高齢者だ。そしてその多くが、成年後見制度を使って、入所費用をはじめとする費用と資産の管理をしている。


 老人入所施設の状況をネットで検索してみると、グループホームの入所料金は安価だとされているが、それでも月間の入所費用は20万円ほどかかる。一般的なサラリーマンかその家族として暮らしてきた平均的な年金受給者の年金受給額に相当する。それでも、後見制度を使うということは、一定の資産、預貯金があるということを示している。グループホームに入れるのも、実は高齢者の多数ではないというのがこれから窺い知れる。


 また、こうした施設で働く側、つまり筆者の知人の収入もほとんど変化がない。介護福祉士の待遇改善を理由にした介護報酬改定も行われたが、彼の月収は数千円増加したにすぎない。月当たり5〜6回の夜勤はほぼノルマとして存在するが、その回数を増やして収入増をはかるにも限界があり、さらにわずかに増えた年収も、今年からは大幅に増えた社会保険料、住民税のランクアップで「手取り」は逆に減っている。


 介護報酬を引き上げ、賃金に反映されても、税で実は還流しているという実感を彼は語る。むろん、詳しく聞くと仕事の内容は想像を超える激務だ。介護労働の現場は、若い人ほど長続きしない。頻繁に働き手が入れ替わる中で、職場環境も必然的にギスギスしたものになる。


 それでも、高齢者収容施設に詳しい彼に言わせると、自分のところはまだいいほうだという。むろん、高額の有料老人ホームなどとは比較にならないが、逆に言えば、高齢者が最後に迎える生活の質は、在宅の在り方と実際を加えてみれば、想像以上に、裕福と劣悪とその狭間とのかい離が大きいという実態が浮かび上がってくる。


 このような現実がすべて包含され、均したものが多くの「統計」および、それに依拠して発表される「調査報告」だ。また、貧困、下流の高齢者ばかりの実態を取り上げた報告やレポートは、そのまま背景にある一定以上の高齢者の実相も炙り出しているわけでもない。そうした理解を前提において、いくつかの統計、報告をしばらく眺める。


●超高齢化社会は現在の若年者世代で顕在化する


 高齢化の状況を報告しているレポートして最初にテキストにするのは、昨年公表された内閣府の「平成27年版高齢社会白書」である。この論考では、図表を使わず、数字を羅列しながら、そのデータについて考えをときおり挟み込む手法をとってきたが、今回もそれを踏襲していく。


 白書の編まれた統計データの時点は、14年10月1日現在。それによると日本の総人口は1億2708万人。前年13年の同時点より22万人減っている。ちなみに6月に出された総務省の速報では、今年6月時点での総人口は1億2696万人。少子化傾向に若干の歯止めがかかる状況もあり、減り方自体はやや鈍化しているような印象があるが、減少傾向自体に歯止めがかかっているわけではない。


 65歳以上の高齢者数をみると、14年10月の高齢者数は3300万人、前年から110万人の増加だ。14年は1949年生まれ、つまり団塊世代の最後の年の出生者が65歳を迎える年であり、いわば高齢者が爆発的増加する最後の年。報告時点では10月なのでこの年はさらに増加が加速しているはずだ。


 今年6月の速報では、高齢者数3409万人。13年10月時点から3年足らずで219万人増加した。内閣府レポートは、高齢者人口のピークは2042年に3878万人だとしている。今から26年後だが、このとき、団塊世代以上は90歳を超えている。


 100歳以上が100万人を超え、平均寿命は90歳を超えることも推定されており、人口が1億人を割り込むという推計と合わせて考えれば、人類の歴史にはなかった超高齢化社会の世界は、すぐ目の前にあることがわかる。社会保障政策がいかに難しい舵取りを迫られるかは、数字で簡単に予測できる。そして、こうした推計、予測、世界史上で初めて、超高齢化などというキーワードがすでに国民には常識化した。


 国政選挙の争点も、経済問題が主軸になるが、その起因と背景は社会保障政策の行き詰まりの回避、医療保険でいえば持続可能な社会保険制度をいかに維持していくかということになり、それが国民の間には漠然とした不安となってこの国を覆っている。若年者にもその危機感が強いのは当然で、今後の若年層にもたらされる社会保険料も含めた重税感はいや増していくことになることは必然だ。


 本質的には、社会の秩序安定にも多少のネガティブな材料となる可能性は高いし、EUの英国離脱問題の引き金となった移民政策が、国内でも論議の熱量が上がってくるのは政策論的には必然かもしれない。


 しかし、英国はすでに移民政策に変革を求める世論があらわになった。こと移民政策に関しては、日本ではそれ以前の段階だ。移民政策がいかに難しいテーマであるかは、今回の英国の一件で日本の国内世論も学習した。それだけに、実は超高齢化社会に歯止めをかけ、少子化を反転させる有力な装置である「移民」は、日本ではしばらく議論自体がタブーになる予感すらさせる。


 実は、高齢者数そのものは、2042年をピークに減少に転じるが、少子化はその影響をその後も与え続ける。高齢化率は14年は26.0%(16年6月速報値は26.8%)だが、内閣府レポートは2060年には高齢化率は39.9%、つまり4割となり、2.5人に1人が高齢者で、75歳以上高齢者は26.9%、4人に1人が後期高齢者となると予測している。今から44年後の高齢者は今の20歳代以上の若者世代。後期高齢者は現在の30代以上だ。彼らは、高齢者となってからも、その前の高齢者の負債を引き受けることになるかもしれない。(幸)