沖縄に滞在して間もなく2ヵ月になるが、今週ほど東京と沖縄の距離を感じたことはない。筆者はこのコラムを書く前日、未明から夕方まで、県北部・高江地区の米海兵隊北部訓練場ヘリパット建設現場近くにいた。そして、膨大な機動隊員による凄まじく暴力的な反対派制圧のさまを私自身、さんざん小突き回されながら、目の当たりにした。 


 以前、北九州市で暴力団対策の厳戒態勢が敷かれた時のように、全国各地から500人もの機動隊員が乗り込んでくる。その知らせに、沖縄では前週から緊張が高まっていた。現地の座り込みは通常、20人程度のもので、前回9年前の工事強行は、沖縄県警さえ関与せず、必要な機材・資材をクレーンで敷地内に運び込み、あっさりと行われた。そもそも、問題の高江地区は、人口150人ほどの鄙びた小集落に過ぎない。 


 広大な訓練場の約半分を返還するにあたってのヘリポート6ヵ所の建設。地元自治体はこれを容認しているが、昼夜を問わず超低空でオスプレイが飛ぶことになる高江地区は、すさまじい騒音で会話も成り立たない居住困難な集落になってしまう。政府はその対策を講じようとするどころか、集落への説明すら拒み続けてきた。 


 機動隊員らはロボットのように無表情のまま隊列を組み、人々をゲート前から強引に排除した。もみ合いが始まると、ロボットの顔は般若に一変する。「危ないですよ」と丁寧な言葉を発しつつ、取り押さえた女性の腕を不必要にねじり上げ、高齢者の首をのど輪で締め上げた。3人が救急車で搬送され、1人は肋骨を折られていた。 


 この日未明、機動隊来襲を待つ現場には、押し潰されそうな緊張と恐怖感が漂っていた。腕を組み座り込むひとりが報道陣に怒鳴った。「マスコミの人、これから起こることを全国に伝えてください。とくにNHK、お願いします」。今のNHKが政権に忖度した報道しかしないことはもう、沖縄でも知れ渡っていた。 


 だが結局、全国ニュースはほぼ「ポケモン騒動」一色であった。民放はある程度、高江の衝突を伝えたが、NHKの7時のニュースはこの話題に触りもしなかった。 


 那覇に戻り、泥のように眠ったあと、今週の週刊誌各誌に目を通すと、そこには別世界のように、のどかなゴシップが綴られていた。「沖縄は日本じゃないの? あんたたちは自分の県でもこんなことをするの?」。半日前、涙ながらに機動隊員に訴えた女性の叫び声が耳から離れない。残念だが、この距離感が日本と沖縄の現実である(私自身のレポートは1ページだけだが、15日発売のアエラに載る)。 


 どうやら世間の関心事は目下、東京都知事選にしかないようだ。週刊文春や新潮が4野党統一候補・鳥越俊太郎氏を叩いていた。文春は14年前、氏が20歳の女子大学生に無理やりキスをした、という話を「女子大生淫行疑惑」として報じていた。主たる証言者は当時からこの女性と交際し、現在は夫となっている男性だという。 


 当事者には「けしからん話」なのだろうが、あまりにもどうでもいい話だ。この記事に激怒して文春を刑事告訴した、という鳥越氏の対応にも幻滅する。「昔そんなこともありました。ごめんなさい」で十分な話だ。東京はかくも平和なのか、とため息が出てしまう。 


 政府は8月には辺野古でも、同様に警察力によって基地建設を強行する構えだ。米軍統治下の沖縄では、いくつもの基地が「銃剣とブルドーザー」という強圧的な手法で造られた。人々はその圧政から逃れたい一心で本土復帰運動を繰り広げ、その願いが叶って44年。まさか今度は本土から「機動隊とブルドーザー」という形で似たような目に遭おうとは、思ってもいなかったに違いない。国民の大多数が容認する安保体制は、沖縄のこうした犠牲の上に成り立っている。だが多くの国民は、そこから目を逸らし続けている。 


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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。