京都大学の山中伸弥教授がマウスのiPS細胞(人工多能性幹細胞)の作製に成功したと発表して早10年。2012年に山中教授が、ノーベル生理学・医学賞を受賞したこともあって、iPS細胞という名前は広く知られるようになった。『iPS細胞が医療をここまで変える』は、あらためてiPS細胞について解説しつつ、可能性と課題、研究の最前線をコンパクトにまとめた一冊である。あらためて、iPS細胞の世界を本書で学びなおしてみることにした。


 〈山中教授が広く世界的に使ってもらえる親しみやすい名前にしようということで、当時流行していたアップルル社のiPodに似せて、最初の「i」を小文字にした〉とは、広く知られた事実だが、一般によく用いられる「万能細胞」とは少し誤解を招きやすい表現だとか。


 〈研究者の立場からは「多能性」という言葉の方が適切だ〉との著者の指摘どおり、iPS細胞には胎盤を作る能力がない。その点で、すべての細胞に分化できる「全能性」を持つ受精卵とは少々違う(ただ、ほぼすべての細胞になることはできるので、一般用語としては、「万能」と呼んでも差し支えないかも)。


 現時点では、〈iPS細胞には、大きく二つの医療応用の可能性があるとされている。一つは再生医療、もう一つは薬の開発である〉。


 再生医療では、〈二〇一四年に世界で初めて、加齢黄斑変性の患者さんにiPS細胞から作られた目の細胞が移植されたが、まだ安全性の確認を主目的とした臨床研究の段階〉であり、治療法として確立しているものではない。また、〈立体的な構造を作るのは難しいとされている〉。さまざまな臓器がiPS細胞から作られるのは、少々先のことになりそうだ。


 一方、直感的にはイメージしづらい薬の開発への応用だが、〈iPS細胞から、病気の原因となっている細胞を作ると、患者さんの体内で起きている現象を、実験用の培養皿の中で再現できる可能性がある〉〈病気のメカニズムを調べたり、様々な薬の候補物質をこの細胞にふりかけて効果を見てみることで、有効な薬の候補物質を見つけたりすることができると考えられている〉という。


 昨今、医薬品や化粧品の世界では、動物をつかった研究に風当たりが強くなってきている。将来的には一部がiPS細胞による試験に置き換わっていくのかもしれない。


■海外留学しない日本の研究者


 当初いわれていた「がん化のリスク」については、〈iPS細胞を作る方法はかなり改良が進んでいる〉ことにより、低くなったという。


 近年の動きとしては「再生医療用iPS細胞ストックプロジェクト」が注目だ。患者自身の細胞からiPS細胞を作れば臓器移植などで起こる拒絶反応は起こりにくいが、半年〜1年など作製に時間がかかるのと、安全性の検査などで莫大な費用がかかる。しかし、同プロジェクトで集めた血液の細胞から事前にiPS細胞を作って、凍結保存しておけば、必要に応じて使えるというわけだ。


 もちろん他人の細胞から作るので拒絶反応が起きるリスクはあるが、日本人で多いタイプの細胞の型(HLAホモ接合体)を〈七五種類集めれば、日本人のおよそ八〇%に免疫拒絶が少なく移植可能な細胞を用意できると考えられる〉という。


 海外の研究の最新事情は、研究にも“リターン”を求めるシンガポールなど、お国柄が出ていて興味深い。日本の問題は、日本人の若い研究者が留学しなくなっていることと、日本の研究事情があまりよさそうではないことだ。〈iPS細胞研究において、日本が引き続きリーダーシップをとれるかは「人材交流」を活発化できるか、そして「研究支援・環境」をいかに充実させられるかにかかっているといっても過言ではない〉。この点は、iPS細胞に限らずあらゆる研究で同じことが言えるだろう。(鎌)


<書籍データ>

『iPS細胞が医療をここまで変える』

山中伸弥監修 京都大学iPS細胞研究所著(PHP新書820円+税)