これまで、「適正寿命」の時代を本流化させていく前提として、人口構造、社会保障費用、高齢者の生活実態に関する状況を述べてきた。


 ここからは、適正寿命を命題として起きている社会的な動き、論調などについて語っていくことにする。ただ、その前に、適正寿命を強いる論調の背景にある問題のひとつとして、今年4月に改定された診療報酬の流れをみていきたい。つまり、診療報酬は社会的要請をうかがうような形で、「在宅医療」に舵を切り始めていることをみておきたいのだ。


 結論を先に言えば、在宅医療の推進は、言葉は理想的だが、実質的にほぼ完全に医療の世界から「社会的入院」を消し去っていく試みである。在宅で医療的支援が限界になった状態は、言葉はきついが、もう社会に用はない人たちと言わんばかりの社会保障システムが動き出し、そのエンジン役が「在宅医療」だともいえる。現代の姥捨て山は「家」にある。


●多様な主体の行動変化って何?


 4月の改定は、昨年6月に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2015」をベースにその内容が決められたことは当然である。同方針では、社会保障の基本的な考え方について、国民皆保険・皆年金の維持と制度の次世代への引き渡しをめざした改革を行うと宣言したうえで、「インセンティブ改革による多様な主体の行動変化による効率化に取り組むとともに、民間の力を活用して関連市場の拡大を実現する」と述べている。


 ここで言う多様な主体の行動変化という言葉は、あまり軽視できない要素である。次に続く「民間の力を活用して」は、医療関係者には混合診療の拡大を想定させるに十分だが、ここではこの問題をスルーしておこう。多様な主体の行動変化は、これまでの社会保障政策の流れ、医療政策の流れの中では、「健康寿命」という言葉に代表される予防的な保健システムの稼働や、個々の国民の未病への関心を高める工夫というようにもみえる。しかし、その中では、「尊厳死」や、後期高齢者医療における選択肢(治療を継続するかどうか)の拡大というテーマが意識されていることは明らかだ。これからの高齢者は、いつ死ぬかも含めた「多様な主体の行動変化」に対応を余儀なくされる。


 その基本方針から1年たって、消費税率引き上げの再延期が決まった。次世代への先送りを拡大させないと方針で宣言しておきながら、社会保障関係費を「高齢化による増加分と消費税率引き上げをあわせ行う充実等に相当する水準におさめることを目指す」という指針の重大な部分を政治的な都合で空文化した。そしてその空文化は、次世代への先送りを拡大させないという、閣議決定の根本も失わせたと言えるだろう。こうした空文化された閣議決定をなんら問題にしないメディアも含めた論調は、次世代に責任をとるのだろうか。そして、適正寿命という「社会通念」の成立へ、この空文化はいよいよ必然性を亢進させたということができる。


●「家」にしか価値はないか


 診療報酬改定は、さらに昨年12月の社会保障審議会医療保険部会・医療部会における「診療報酬改定の基本方針」でより具体化されたが、その文言は重箱の隅をつつくといろいろと揚げ足取りをしたくなるような文言が散っている。


 例えば、超高齢化社会における医療政策の基本方向では、「あらゆる世代の国民一人ひとりが状態に応じた安全・安心で質が高く効率的な医療を受けられるようにする」ことが重要だと謳っている。「状態に応じた」というのはどういう意味だろうか。また「治す医療から『治し、支える医療』への転換が求められる」とし、医療や介護が必要な状態になっても「できる限り住み慣れた地域で安心して生活を継続し、尊厳をもって人生の最期を迎えることができるようにしていくこと」が重要だともしている。


 人生の最期は「住み慣れた地域」という表現は、「家」ではないのか。また団塊世代ジュニアが高齢化し始める2035年に向けて、「患者にとっての価値」を考慮した報酬体系を目指すとも述べている。患者にとっての価値とは何か、論議はされたのか。


 この基本方針は、結局のところ、以上のような前提をおいて地域包括ケアシステムの構築、つまり新たな考え方による医療提供体制の再構築を提言し、診療報酬改定の全体のトーンを明確化させている。つまり、地域包括ケアシステムの構築は住み慣れた地域、つまり家を中心とした場所で、患者にとっての価値を重視した医療提供体制なのである。少なくとも患者にとっての価値は、「地域」という家にのみ存在し、そのほかの選択肢はないといっているようにみえる。


 4月改定はこうした「基本方針」に沿って、7対1入院基本料の算定病床の削減という思い切った切り込みが行われた。重症度、医療・看護必要度の厳格化を示し、平均在院日数の大幅削減を病院に強いた。これによって、高度医療機関においても、地域の療養型病院、介護老健施設、在宅療養支援診療所(在支診)、在宅ケアサービス事業者、ケアマネジャーなどとの連携が必要になった。


 特に14年度改定で導入した7対1病院の「在宅復帰率」条件は75%から80%に5ポイントアップし、より在宅復帰重視の姿勢が打ち出された。改定を論議した中央社会保険医療協議会では、在宅復帰の概念を「強化型老健施設」などの施設も対象から除外する意見が出たと伝えられる。論議には、在宅とは「自宅」であるというトーンがより鮮明化したいというグループがいたということだ。この流れは介護報酬との同時改定となる18年度改定でも、濃厚になるのではないかとみられるのだ。


 繰り返してしまうが、在宅とは自宅、つまり「家」であるという認識が明確化されようとしているのである。連載の半ばでは現在の高齢者の「家」の問題にも触れた。簡単に在宅を自宅と硬直化させることが現状の多くの高齢者の「生活の実態」に沿ったものかどうか、むろん、相応の論議が要る。


 改定の在宅に関する具体的内容を少し例題的にみれば、7対1病院の退院時共同指導料1は在支診が相手であれば500点アップ、その他は300点アップ、同2は100点アップ、検査・画像情報提供加算は新設で200点がついている。在宅療養支援診療所を軸に在宅対応できるグループとの連携構築に強い期待がこもっていることがわかる。


●ときどき入院、ほぼ在宅の合言葉


 こうした点数設定、改定で現況ではどのようなことが起きているのだろうか。多くの7対1病院では地域連携室を軸に、新たな戦略を強いられているが、制度が変わったからと言って簡単に対応できない課題は、現場には山積する。いま、病院を中心に「ときどき入院、ほぼ在宅」というスローガンめいた言葉が合言葉になっている。しかし、それほど簡単ではないということは容易に想像がつく。


 7対1病院は、今回の改定で在宅復帰率を高めつつ、平均在院日数を減らすという指標を持つことが改定の目的だ。そのため、入院患者が入院初日には退院時の対応を始めないと、改定に沿った経営戦略は功を奏しない。しかし、問題は入院患者の状況、状態だ。付け加えると「状態」という言葉は、医療関係者、介護関係者間では固有名詞化しつつある。患者の「状態」は、疾病の状態だけでなく、生活の状況も包含して考えていく新たな概念のようだが、こうした概念づくりも、先行きの論調に微妙な空気を作り出すのではないかと予測できる。


 患者の状態は、むろん医療行為の必要度もあるが、家族の有無、家族の意向、経済的問題などさまざまな問題があることを指す。むろん、患者一人ひとりが同じ「状態」であるわけがなく、病院側には大きなプレッシャーとなる。それらの課題を解決して、10日間を切るスパンで在宅へ移行するというのは、相当な離れ業が必要になる。無理が起こるのはほぼ当たり前だ。


 病院と患者サイドのギャップは種々の部分で拡大する。例えば、家賃を払っていない、電気も水道も止まっている「自宅」の患者。家族が受け入れを拒否する「家」、そうした課題を解決していくには、結局、医療的「状態」をかなり早い段階から、「終末期」と判断する気分を醸成するかもしれない。


 健康寿命の追求は、終末期を早めることにつながる。そこから在宅が難しい患者の「尊厳」を損ねはしないかという課題が浮上するのではないか、そういう懸念が生まれてくるのである。(幸)