今年8月11日は初めての「山の日」である。7月18日の「海の日」と並んで自然に親しむための祝日だ。


 日本の登山人口は1000万人を超す。登山は中高年だけではなく、若い女性の間でも大きなブームとなり、数年前には山ガールという言葉まで生まれた。


 人はなぜ、山に登るのだろうか。登山には大きく分けて2つあると思う。自分が楽しむ登山と人を楽しませるためのそれだ。登山家のタイプもこの2つに分かれる。しかし、いずれの登山家も山を楽しんでいることには変わりがない。初めての山の日に当たり、山登りについて考えみた。


■発狂するような生きがい


 私がこれまで取材したことのある登山家のなかで、対照的な2人を挙げよう。


 ひとりは世界のトップ級のクライマーの山野井泰史さんである。1965(昭和40)年4月21日生まれの51歳。固定ロープや酸素ボンベを使わないで一気に登り切るアルパインスタイルで、これまでに8000メートルを超すヒマラヤのチョ・オユーやカラコルムのK2などの氷雪の岩壁を単独で登攀している。


 彼の名を一躍有名にしたのが、14年前の2002年10月のヒララヤ高峰のひとつ、ギャチュン・カン(7952メートル)北壁の登頂だ。マイナス30度、空気中の酸素量は地上の3分の1と薄い、まさにデスゾーン。このギャチュン・カンの頂きに立ったあと、悪天候と雪崩に遭いながらも、垂直の氷壁を途中までいっしょに登った妻で登山家の妙子さんと2人で奇跡的な生還を果たした。妙子さんも女性最強のクライマーとして有名だ。


 山野井さんはギャチュン・カンの北壁登頂で凍傷を負い、右手3本、左手2本、右足5本の指を失った。妙子さんもこれが二度目の凍傷だったが、治療による切断で両手の指すべてがさらに短くなった。それでも山野井さんは中国四川省のポタラ(5428メートル)の北壁、グリーンランドのオルカ(1200メートル)の岩壁などに次々と挑戦して登頂に成功している。


 5年前に会ったとき、山野井さんは「僕はまっとうな仕事もしないで、毎日山のことしか考えてこなかった。他のことは考えないで生きてきた。だから『今日からもう山には登れません』といわれたら生きてはいけない。食事や睡眠、呼吸と同じように体が山をすごくほしがる」と語っていた。


 彼の著書『垂直の記憶』(山と渓谷社、2004年発行)には「一般の人から見ると、狂っているかもしれないが、これが僕の人生なのだ」と書かれている。


 この本の話をすると、山野井さんは「動物は本来、安全に生きて子孫を残すものだ。それなのに僕は繰り返し危険な行為をする。生物としてよろしくないと思う。ただ、むかしよく『お前は狂っている』といわれたが、そう言われると、ちょっと幸せでした。なぜなら僕には発狂するような生きがいがあると確信できたからです」と答えたうえで「不特定多数を連れて山の楽しみを教える山岳ガイドのような仕事はできない。山のどこが楽しいかはだれよりもよく知っているけど、他人に気を使ってしまう性格なのですぐに疲れてしまうからだ」と話していた。


■いい仲間と楽しみたい



 この山野井さんと対照的なのが、日本を代表する山岳ガイドで、登山教室「歩きにすと倶楽部」を主宰する太田昭彦さんだ。1961(昭和36)年7月26日生まれの55歳。高校時代から登山に夢中になり、一時登山家の岩崎元郎さんの「無名山塾」で講師を務めていたこともある。もちろんヒマラヤなどの海外登山の経験も豊富だ。


 4年前の取材で太田さんは「山岳ガイドがリーダーとして同行すると、遭難事故がグンと減ります。それは登山は経験がものをいうからです。いまは大衆登山の時代です。以前は若い人が山岳会に入ってチャレンジしていた。山は魅力的だということで。20年ほど前からは多くの人々が登山を始め出した。さらに山登りを趣味にする層が広がり、老若男女が山を楽しんでいる。そうなってきたから問題が起きてきた」と語り、こう指摘していた。


 「観光やレジャーの延長で山に登ってしまう。2000メートル、3000メートル級の山までレジャー感覚で入ってくる。以前だったら山岳会や大学の山岳部に入って経験のある先輩から登山の知識や技術を学んだ。だけどいまはいきなり個人でスッと入ってきてしまう。せいぜい山岳雑誌や登山入門書を読む程度のにわか登山者が多い。段階を経ずに北アルプスなどの憧れの山にすぐに登ってしまう。自分の力量と山との関係がまるで分かっていない」


 「いまさらそういう人たちに『山岳会に入って基礎から学びなさい』と言っても無理。そこで必要になるのが山岳ガイドによるツアー登山です。日本山岳ガイド協会という組織がある。会長が自民党前総裁の谷垣禎一さん。登山の指導者を育成することが目的で、これまでに約1000人が山岳ガイドの資格を取得している」


 太田さんは登山家の岩崎さんの元で修行を積んだあと、13年前に登山教室「歩きにすと倶楽部」を設立した。


 太田さんは「岩崎さんからはゆっくり歩きを学んだ。登山地図にあるコースタイムの1・5倍の時間をかけて登って下ることで中高年でも無理なく登山ができる。歩きにすと倶楽部の設立の趣旨には①笑顔になれる②諦めない③いい仲間と登るの3つが盛り込まれている。自分は仲間と楽しむのが登山だという思いがあるからだ」と強調する。


 凍傷で手足合わせて10本の指を失っても諦めずに世界の大岩壁に挑み続ける山野井泰史さんと、登山教室を主宰し仲間と登るからこそ楽しいんだと主張する太田昭彦さん。この対照的な2人の登山家の言葉に登山の奥深さが見える。(沙鷗一歩)