前回から16年版の内閣府・高齢社会白書を眺め、まず人口の高齢化について同白書の実態と将来推計を中心にみてきた。今回は、同白書の中から社会保障給付費の動向、高齢者の世帯と経済状況を中心にみていきたい。なお、最近、国民生活基礎調査も報告されたが、それは次回に他の統計などと一緒にまとめる。


 すでに常識的なことだが、社会保障費は年々、増加の一途をたどる。白書によると、12年度の社会保障給付費の総額は108兆5586億円。むろんこの時点でも過去最高の水準となっている。国民所得額に対する割合はこの年に30.9%となり3割の水準を超えている。


 この白書では、この数字からみえるトピックスを2点あげている。ひとつは、対国民所得比は70年には5.8%だったものが30.9%にまで膨らんだこと。42年間で、財政に与える影響は、まったく違うものとなったことは明らかだが、それにしても絶対額の伸びをみると70年は約20兆円、それが約5倍となり、そして国民所得比もほぼ5倍の水準となっているということは、この間の国民所得の伸びが相対的に鈍かったことを示している。


 社会保障費用絶対額が高齢化によって伸びることは、一定の推測ができていたいとはいえ、この間の経済の鈍化、特にバブル期以後の停滞は大きな影響を与えたことは明らかだ。


 連載の初めに高齢化の進展は、その70年前から予想できていたことを示したが、その対応が後手に回ったのは、経済の長期的観測が誤っていたというしかないだろう。それだけに、人口の高齢化を安定的な経済成長で対応できる、対策は可能だと当時の為政者たちが考えていたか、あるいはそれは考える必要もない当然のありようだと思っていたとしても仕方がないのかもしれない。しかし、やはり、老人医療費の無料化や、高学歴化に伴う少子高齢化が将来どのような影響を与えるか、少しはネガティブなシミュレーションがあってもよかったような気がする。何よりも、人口の高齢化の確実な進展は間違いのない予測であったからだ。


 白書の示すトピックスの2点目は、社会保障給付費のうち、高齢者関係給付費が74兆1004億円で、全体の68.3%を占めることだ。実に7割が高齢者によって費消されているという指摘は、事実かもしれないが、指摘する指先は冷たいものを感じる。膨らむ社会保障費用は、高齢者がいるからであることは仕方のないことだが、削るとしたらここしかない、あるいはここがより効果的であるという認識を持てという誘導が沈潜している。


 詳細はこれから述べていくが、こうした政府サイドのレポートが、一種のプロパガンダの目的があると筆者者は考えている。108兆円を超える社会保障費用のうち、7割が高齢者によって使われているというメッセージは、高齢者の適正な退場、適正な寿命、なるべく金を使わない「老後の暮らし」を強制する社会認識の醸成のスタートラインで発せられている。まるで「位置について!」と号令を発せられているかのようだ。あとは「用意!」の声を聴いて号砲を聴くだけなのかもしれない。


 少し横道にそれるが、7月の参院選では、与野党ともに社会保障の充実、あるいは教育の問題など、貧困にまつわる対策が声高に叫ばれていた。こうした公約は、少なくとも現況の経済、政治状況をみると守られるはずのない公約であり、空手形に等しい。事実、選挙後、すでに社会保障費用の抑制策が語られはじめている。何より、消費税引き上げを先送りして、社会保障の充実を語ることの矛盾に、メディアの批判の矛先が緩いのは筆者には理解ができない。メディアもまた、消費税延期に肯定的であった。ゆえに今後、社会保障縮小論が台頭することがあっても、メディアは批判できない。今回の参院選前の低所得高齢者への給付金、そして何より消費税の引き上げ延期は、すでに「適正寿命」時代の幕開けを認めたと言っていい。


●無視できない不動産内需と都市集中の関係


 ここからは白書から高齢者の世帯の状況と経済状況、健康の状況をさらりとみていく。高齢者の世帯について白書は、13年現在、65歳以上の高齢者がいる世帯は2342万世帯で、全世帯(5011万世帯)の44.7%を占めるとしている。これは年々増加するのは必至ですでに現状は、全世帯の半数は高齢者を含む世帯であることは間違いない。


 なかでも高齢者夫婦のみの世帯、高齢者の単独世帯が急増している。白書の報告時点でも、夫婦のみの世帯は全体の3割で、単独世帯は4分の1。この類型をあわせると高齢者世帯の5割を超える。特に単独世帯の増加が著しい。高齢者独居世帯は、80年には男性4.3%、女性11.2%だったが、10年は男性11.2%、女性20.3%となった。30年間で男女ともに独居世帯は倍増した。


 むろん、これも単純にいえば人口の老齢化によるものであり、ある意味、こうしたトレンドを示すのは当然とはいえる。このような統計やレポートが出るたびに、政府サイドや政権与党あたりからは、3世代世帯家庭への回帰など、与太話に近いような話がこぼれ出してくる。これとても、奇妙なロジックにし聞こえない。


 日本の経済政策の過去を簡単に振り返ると、バブル崩壊以後は、国民消費の喚起が大きなテーマとなってきた。つまり内需の活発化である。バブル前は旺盛な内需によって日本の景気は下支えされてきた側面は否定できない。その内需の大きな要素は不動産であり、現在の65歳以上高齢者の持ち家率は高い。しかし、いわゆるその中核となったいわゆる「マイホーム」は3世代を想定したものではない。いわば核家族を想定した世帯感覚でのマイホーム需要の喚起が、一定の内需を生み出した側面があるのであり、家の構造として、3世代などは限られた層の需要だった。


 もっと付言すれば、現在65歳以上の人々の職場は都市に集中した。職場の近くに住宅を買い、それによって都市集中は都市人口増加の加速につながった。都市で生まれた子供たちは都市から出ない。しかし、経済が減速し、働く場所の薄くなかった地方都市からは若い人は大都市に出ていく。人口の増加する地域には就労は供給される。それが、結局、現在の極端な「東京一極集中」につながっている。現象を切り取っていけば、「3世代同居」などは理想的ではあるが、それを進める構造性はもうないのである。ないものねだりで理想をぶちあげるほど、貧困な発想はない。単純にいえば、そのような政策を推進したいなら、個々の自由を閉ざした社会主義的な構造改革しかあり得ないのである。


●高齢化を語る二枚舌的なレポート


 内閣府のレポートは、高齢者の経済状態についても言及している。政府系のレポートはどこか意図的に能天気な指標を最初に提示する。消費税導入に際しての、社会保障費用に対する国民への恫喝とも等しいような切迫感を打ち出すかと思えば、今回の参院選のように社会保障や教育の充実を前面に押し出す中で、消費税導入先送りのようにその財源を棚上げしたままの「公約」まで示す。今回ほど、国民に節操のなさが表面にみえた選挙はなかったように思える。選挙に勝つための本来の目的を目立たなくする戦略があったとしても、違和感は相当に大きい。


 白書では、高齢者の経済状況について、60歳以上の高齢者の経済的な暮らし向きについて11年の世論調査をリードにひいている。それによると、暮らし向きは「心配ない」、「それほど心配ない」と家計に一定のゆとりがあるとの回答が71%に達していると語る。年金受給額の不十分さや、医療・介護への不十分なアクセスがいろんなレポートが多様なメディア関連で伝えられる中で、高齢者は「とりあえず7割は心配ない」というのは、実相を示したものであろうかという疑念はぬぐえない。ことに、高齢者を65歳以上と、他の統計では括っておきながら、この世論調査は「60歳以上」となっている。11年には団塊の世代のほとんどが65歳に達していない。これは高齢化前夜の調査だ。


 高齢者世帯の年間所得は309.1万円、全世帯平均の537.2万円とはかい離が大きい。309万円のうち、68.5%(211.9万円)が公的年金・恩給だ。これを月当たりにみると、高齢者世帯の年金受給額は17万6500円程度だ。実は、高齢者の生活、介護に関する自己負担などは、こうした17万円程度の基礎数字レベルで政策が進む気配がある。


 それより負担が大きくなる場合はどうするのか。どうしても、混合診療、混合介護の高齢者経済状況を作り出すしかないのではないか。負担の側面からも「適正寿命」の社会観を作り出す環境は整い始めている。


 次回は、高齢者の貯蓄や資産と、今回まで取り上げた白書以外のいくつかの資料をながめていきたい。(幸)