「夏の庭には花が無いのよねえ……」
猫の額ほどの庭に所狭しと草花を植えている母が、いわゆる雑草を抜きながら毎年ひとりごちていた台詞である。薬用植物園とて同じことで、盛夏に見学したいとお申し越しがあると困ってしまう。「植物園」という言葉に、素人さんはみな「花が咲いていて綺麗なところ」のイメージをかぶせてやってこられるからである。「夏の薬用植物園は、蚊がいっぱいで花はなにもありません。それをご了解の上でおいでください」と申し上げておいても、見学者たちは「もっと花とかがいっぱい咲いていて面白いところだろうと想像してきたけど、雑草がいっぱいでどれが薬草かわからないし、蚊がいっぱいいて、期待はずれ」などという感想をくださるのである。事前通告に「了解しました」と返事をしてきたはずなのに。
大学に附属の薬用植物園は、薬学部があるから存在しているという性格のもので、教育と研究のための施設である。従って、一般的な植物園のように「お客さんに見て楽しんでもらう」ことはその設置目的ではない。植栽してあるものは教育と研究に必要なもので、四季折々に花があるように考えて植栽している観覧用植物園とはわけが違うのである。
薬用植物園の夏は雑草がぼうほうで、蚊や毛虫、蜘蛛の類がいっぱい。これは自然の摂理である。薬用植物の学習には、それを見るだけでなく、触って、匂いを嗅いで、口に入れて味わってみる、ことが重要な作業であるので、殺虫剤や除草剤は使えないからである。本誌の読者諸氏には、こんな実情をもお含みおきいただけたら、と思う。
さて、今月のこの欄になにを書こうか、である。なるべく季節のものを、と探すのだが今回はいささか盛りは過ぎてしまったものになるが甘草をご紹介しよう。
スペインカンゾウの花
甘草(カンゾウ)は、生薬の中では日本で最も消費量が多いもので、汎用漢方処方の7割以上に配合されるほか、味が甘いので甘味料としても多用されている。具体的にはカンゾウエキスが、味噌、醤油、スナック菓子、漬物などに加えられ、歯磨きペーストや化粧品にも使われる。甘い味の正体は甘草に含まれるグリチルリチン酸という化合物で、この化合物はカンゾウの地下部、つまり根とストロンと呼ばれる地下に伸びる茎に含まれる。葉や茎など地上部には含まれていない。また、甘草は味が甘いだけでなく、抗菌、抗炎症、肝保護、鎮咳、去痰、抗消化性潰瘍、抗アレルギーなど、このひとつの生薬で普段の多少の身体の不調は対応できてしまうのではないかと思うほど、多くの生物活性があるとされる。
スペインカンゾウ地上部
生薬の教科書をひもとくと、カンゾウは乾燥した土地に好んで生える、と書かれているものが多い。筆者もかつてそのように学習した。しかし、縁あってカンゾウの自生地を数年かけて調査する機会があり、その経験から申せば、この記述は間違いではないが、多少誤解を与える表現だと思うようになった。より正確に書くなら、「カンゾウは、ほかの植物が生き残れないような条件の土地にでも生えることが可能で、季節的乾燥の激しい土地にも旺盛な繁殖をみる」であろう。カンゾウは確かに砂漠の周辺部や草原地帯にも生えるが、他方、泥湿地や滔々と流れる川の川岸にもびっしり生える植物なのである。
川(真ん中のコーヒー牛乳色の流れが川)の両岸にびっしり生えるカンゾウ(ウズベキスタンにて撮影)
近年は、いわゆるワシントン条約や生物多様性条約など、天然資源の利用に関して国際的監視が厳しくなりつつある。生薬資源についても例外ではなく、昔から野生品を採取して使っていたものが資源枯渇のために利用を見合わせる事態になっていたり、工夫して栽培や飼育による資源供給を可能にしてきたりしている。使用量が多い植物性の生薬の多くはすでに栽培品ばかりであるのが現状であるが、その中で甘草は野生品もまだまだ多く使われているもののひとつである。それほど繁殖力が旺盛な植物なのである。従って、その価格も高くはない。
味が甘くて多様な薬効が期待でき、価格も高くない生薬は非常に都合がよく、たくさん摂取したくなるが、残念ながら、多量の甘草摂取は低カリウム血症という好ましくない状態をひきおこすことが知られている。これは、グリチルリチン酸の化学構造が、ヒトの血中カリウム濃度を調節するホルモンに一部に似ているために起きる現象であると考えられており、特に高齢者や腎機能が低下した人では現れやすい。先にも書いたように、甘草は漢方処方の多くに配合されているので、複数の漢方薬を服用する場合には甘草が重複して配合されていて量的に過剰になっている可能性が高くなるし、気づかないうちに、梅干しや味噌などの食品から摂取している可能性もある。低カリウム血症が現れる甘草摂取の限度量は人によって様々で一概にはいえないが、甘草は使用に際して十分に注意が必要な生薬であるということができるのである。
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伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969年大阪生まれ。京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けばずっと京都大学にいるが、研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれており、途上国から先進国まで海外経験は豊富。大学での教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多い。