おそらく大方の人が「時間の問題」と考えていた通り、SMAPの解散が正式に決まった。週刊文春と新潮はそれぞれページ数を割き、特集を組んでいるが、その内容にもはや新鮮味はない。約半年前、ジャニーズ事務所や芸能マスコミ、テレビ各局が総がかりで繰り広げた壮大でグロテスクな“印象操作の試み”は何だったのだろう。そう思いたくなるほどに、結局はわかりやすい話だった。


 5人の“育ての親”だった飯島三智マネージャーとジャニーズの女帝・メリー喜多川副社長の対立。居場所を失った飯島マネージャーに従って独立を模索したメンバーの動きは、キムタクこと木村拓哉の離反で失敗に終わった。テレビでの異様な“謝罪会見”にもかかわらず、決して埋まることのなかった1対4の亀裂……。要はそういうことである。


 新潮の特集には《会社に楯突いた4人に待ち受ける運命は……》などと、チクチクと嫌味混じりの表現が散りばめられているが、大まかな内容は中立的スタンスの文春記事とほぼ同じだ。


 結果的にジャニーズという“大樹”への忠誠を選んだキムタクは、組織内でのポジションと引き換えに、仲間の信頼を失ってしまった。一般に組織社会では、出世をするほどに孤独になる、と言われている。その過程で往々にして、「組織(の上層部)」か「仲間」か、という二者択一を迫られるためだ。「その両方」から信頼を勝ち得る、などというハッピーエンドには、テレビドラマのような作り事の世界でしか、そうそう出会えるものではない。


 とまぁ、お盆期間中の“中央メディア”は至ってのんびりムードだったが、私の滞在する沖縄では、歴史的に深刻な事態が日々、続いている。参院選の後、政権は辺野古や高江の米軍基地問題を強権によって決着する方針に一転した。国と県は裁判所の和解勧告を容れ、「話し合い路線」に転じていたはずだったが、国は7月下旬、突如として辺野古問題で県を再提訴、8月、その初回の口頭弁論で、裁判長は「ひと月後のスピード判決」を一方的に県に通告した。おそらく9月半ばには、県敗訴の判決をゴーサインに、高江に引き続き、辺野古での抗議運動にも機動隊の大軍が襲いかかるはずだ。


 そういった諸々を中央のマスコミはどこか遠い国の出来事であるかのように、断片的にしか取り上げない。そして、政権によるあまりに強引で理不尽なやり方にも、ほとんど言及することはない。


 私は昨夜遅くまで、キャンプシュワブの地元・辺野古地区の飲み屋街で痛飲した。政府からバラまかれるカネで住民の多くが新基地建設を容認する、と伝えられる地区である。だが、かといって彼らは政権を積極的に支持するわけではない。はしご酒の2軒目で出会った男性は、「迷惑料としてもらえるものはもらう」という消極的容認派だが、隣接する東村・高江地区に大挙乗り込んできた機動隊500人の横暴には、「本土ではあり得ない仕打ちだろう。これこそが沖縄差別だ」と、目を潤ませて怒りを露わにした。


 県内だけで連日、刻々と報じられる“大ニュース”。現地の人々はもはや、沖縄の現実から徹底して目をそらす中央メディアの報道に、半ばあきらめに似た感情さえ抱いている。「ポケモンGOやスマップ解散で騒ぐのもいいですけどね……」。随所で出会う寂しげな苦笑の裏側に、本土への語り尽くせぬ思いが潜んでいる。 


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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。