人類が命を自由自在に操作する——。ほとんど“神の領域”というエリアに、今、人類が足を踏み入れようとしている。その中核となる技術「ゲノム編集」の最新事情を追った1冊が、『ゲノム編集とは何か』である。
ゲノム編集とは、〈医師や科学者が狙った遺伝子をピンポイントで修正する〉技術である。〈狙った遺伝子やDNAを構成する「G」「C」「A」「T」からなる無限に近い文字列を一文字一文字、ピンポイントで削除したり、書き換えることができる。あたかもワープロで文章を編集するように、私たち生物の設計図であるDNAを自由自在に書き換えることが可能になってきた〉。
これまでも、「遺伝子組み換え」のように遺伝子の操作を行う技術は存在した。GMO(遺伝子組み換え作物)は、その代表例だろう(日本人は大嫌いだが、輸入飼料の中心はGMOだから肉として間接的には結構食べているかもしれない。市場は世界でなんと約4兆円!)。医薬品の世界でも、近年、売上高の上位を独占しているバイオ医薬品にも、遺伝子組み換えが用いられている。
もっとも、遺伝子組み換えには問題も多かった。例えば、技術の精度。導入しようとする遺伝子を狙った場所に入れるのが難しい。〈長年にわたって地道な訓練を積んできたベテラン研究者にしか扱えないものだった〉。それが開発期間の長さと、コスト高につながっていた。〈従来の遺伝子組み換え技術は、「組み換え」という言葉から連想される自由自在なイメージとは裏腹に、実は様々な問題や限界を抱えた不自由な技術だったのだ〉。
ゲノム編集を行う技術はいくつか存在するが、本書では、「クリスパー」と呼ばれる技術を中心に取り上げている。クリスパーには遺伝子操作を行う上で、多くの利点がある。ひとつは、〈「高校生でも数週間で使えるようになる」と太鼓判を押すほど扱いやすい技術〉という点。また、〈DNA上の狙った個所をピンポイントで切断、あるいは改変する驚異的な精度とスピード〉も従来の技術とは比べものにならない。そのため、開発期間が下がり、コストも下がる。
ゲノム編集は実用化の段階に入っている。水産の分野では、〈京都大学と近畿大学の共同研究チームは、筋肉の成長を抑制するミオスタチン遺伝子をクリスパーで切断(破壊)することにより、肉量が従来の1.5倍に増加した真鯛を作り出した〉。
医療においてもゲノム編集は有望な技術である。〈(先天的な遺伝性疾患などを治すため、生まれる前の受精卵の段階で)クリスパーで遺伝子改変された赤ちゃんが生まれるのは時間の問題。その瞬間は遅くても10年以内に訪れる〉と見られている。
〈ゲノム(DNA)・データをクラウド上に集積。こうした医療ビッグデータを「ディープラーニング」のような先端AI(人工知能)でパターン解析することにより、複雑な病気の原因遺伝子や発症メカニズムを解明する〉取り組みなども盛んになるだろう。
■容姿や知能が理想的な「デザイナー・ベビー」も
もっとも、遺伝子レベルで改変や治療を行うことは、さまざまな問題をはらんでいる。例えば生態系の破壊。マラリアほかさまざまな感染症を運ぶ蚊を遺伝子の操作で全滅させてしまえば、食物連鎖に影響が出るリスクもある。
また、どこまでを医療と考えるかは難しい。遺伝子に問題があり、起こる難病や先天性の疾患を治療することに異を唱える人はあまりいないだろうが、ゲノム編集では〈従来の美容整形手術やダイエット、あるいはウエイト・トレーニングや健康増進プログラムとは全く次元の違う方法によって、遺伝子レベルで自分を強化し、美しくする〉ことも十分起こり得る。
〈親が生まれてくる子供の容姿や知能、運動能力などを、あらかじめ自由に決めてしまう、いわゆる「デザイナー・ベビー」に使われてしまう懸念もある〉。
10年以内にゲノム編集された赤ちゃんが生まれてくるとすれば、ゲノム編集という技術が一般化して、さまざまな問題が噴出するまでにそう時間はかからない。今から制度設計や法整備に向けた議論を始めても、決して早すぎることはないはずだ。(鎌)
<書籍データ>
『ゲノム編集とは何か』
小林雅一著(講談社現代新書800円+税)