今週は、週刊文春に載った《ネットメディアの“化けの皮” 貧困女子報道でNHKの回答を捏造》という記事が目を引いた。紙媒体やテレビからネットへとメディアの主役が代わりつつある中で、流通する情報の恐るべき劣化を象徴するスキャンダルである。 


《事の発端はNHKが8月18日のニュース番組内で放送した「子どもの貧困」特集だった。母子家庭の女子高生が登場し、エアコンのない部屋に住み、「(パソコンが買えないので母が)キーボードだけ」買ってくれたなどと語った》 


《これに対して、ネット上では、「女子高生のSNSをみると結構散財している」などと、NHKの“ヤラセ”を疑う声が続出。それに便乗するような形で8月25日、BJ(ネットメディア「ビジネスジャーナル」)は、女子高生の部屋の映像にはエアコンが映っており、SNSでは散財の様子も確認できる等と指摘した編集部名義の記事を掲載した》 


 放送された映像にエアコンは見当たらず、完全な事実誤認。そればかりか、BJはNHKに取材した結果として「家計が苦しく生活が厳しいという現状であることは間違いない」などとする談話を載せたのだが、実際には取材は行われず、NHKの抗議で『回答は架空のものでした』と訂正・謝罪文を掲載することになった。 


 文春記事はこのようにBJの捏造を追及したものだが、この番組をめぐっては、目下国民の6分の1が直面する「相対的貧困」のテーマを理解しない人々が、食うや食わずの状態でない限り貧困とは言えない、と言わんばかりのバッシングをネット上で繰り広げ、この女子高生を吊し上げる出来事もあった。かつて生活保護の一部不正受給をクローズアップして、保護費削減のキャンペーンを張るなど、貧困対策の縮小に熱心な片山さつき参議院議員もNHKバッシングに参入し、福祉関係者などから顰蹙を買った。 


 社会的弱者が寄ってたかってバッシングを受ける、今の世相を象徴する嫌な出来事だが、話をBJの報道に戻せば、文春記事は近年、相次いで生まれているネットメディアについて「原稿のイロハのイも分からない」「コストを省くためまともに取材をせず記事を作る」とその実情を容赦なく暴いている。 


 その指摘には筆者も共感するところがある。かつてあるサイトで、ネットメディアの関係者が旧来の新聞メディアの悪しき体質として「コンテンツの生産性の低さ」や「記事のリサイクルをしないこと」を批判するのを見て、驚いたことがあるからだ。この人物は、記事の粗製乱造や使い回しをしないから、新聞はダメなのだ、と得々と語っていたのである。 


 記事は足で書け。つまり靴をすり減らし、どれだけ人に会うのかが勝負、と教わって育った世代からすれば、“手抜きと量産こそ王道”と考える関係者がネットメディアでは多数派だとすれば、これはもう絶望的な話である。 


 実際、ネットライターの稿料は文字あたり紙媒体の数十分の1にしかならない、と聞いたことがある。紙の世界のライターも貧乏職業だが、ネットのライターはそのレベルの所得を得るために、数十倍も記事を書かなければならないのだ。 


 これではもう、取材などできるはずもない。部屋にこもり、聞きかじり、読みかじったことを右から左へと書き飛ばすしかない。マスメディアを「マスゴミ」などと嘲るネット民たちがその現状を支えているのだから、何とも皮肉な話である。 


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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。