1964年10月に東京〜新大阪で開業した新幹線は日本人の生活や働き方を変えただけでなく、高速鉄道の有用性を示した世界に誇るべき偉業である。しかし、新幹線の建設は「我田引鉄」を望む政治に翻弄されてきた歴史があり、2016年度補正予算でも早期完成に向けた財政投融資の必要経費が計上されるなど、その愚が繰り返されようとしている。


 今回は新幹線の歴史を紐解きつつ、政治化する新幹線の問題点を考える。


◇  源流は戦前


 まず、現状を概観すると、新函館から鹿児島中央までを縦断する新幹線に加えて、東京〜上越の上越新幹線、東京〜金沢の北陸新幹線が供用されている。さらに、北海道新幹線の札幌〜新函館北斗、北陸新幹線の金沢〜敦賀、九州新幹線長崎ルートの武雄温泉〜長崎が2012年6月の政府決定に沿って建設されており、北海道は2030年度末、北陸と長崎ルートが2022年度末に完成する予定だ。なお、山形新幹線、秋田新幹線は在来線を改良したいわゆる「ミニ新幹線」であり、全国新幹線鉄道整備法に基づく新幹線とは言えない。


図1:全国の新幹線路線網の現状                      

出典:国土交通省ホームページから抜粋


 ここまでネットワークが完成されるまでには長い歴史があった。新幹線のような高速大量輸送を目的とする鉄道が本格的に構想されたのは戦時下だった。兵員や物資の輸送で逼迫する東海道線や山陽線をバイバスする目的で、東京〜大阪〜下関間を約9時間で結ぶ「弾丸列車構想」が計画された。


 しかし、戦局の悪化で1943年に計画は中止。それでも当時の用地買収、トンネル工事などが新幹線建設に役立ったとされる。


 結局、着工からわずか5年で東海道新幹線の東京〜新大阪が開業し、9日後に開会した東京オリンピックと併せて、高度成長のシンボルとされた。


 その後、新大阪〜博多の山陽新幹線が1975年3月までに全面開業。さらに、全国新幹線鉄道整備法が1970年5月に制定され、東北、上越、成田、続いて北海道、北陸、九州鹿児島ルート、九州長崎ルートが「基本路線」として位置付けられた。結局、成田新幹線は実現しなかったが、大宮〜盛岡の東北新幹線が1982年6月に、大宮〜新潟の上越新幹線が同年11月に完成した(上野〜大宮は1985年3月、上野〜東京は1991年6月に延伸)。


 しかし、ここまでが新幹線の「栄光ある歴史」である。いわゆる「整備新幹線」に位置付けられた北海道の札幌〜新青森、東北の新青森〜盛岡 北陸の東京〜新大阪、鹿児島ルートの博多〜鹿児島中央、長崎ルートの博多〜長崎については、高度成長が終わった1980年代以降、いばらの道が始まり、時に政治に翻弄されることになる。


◇  国鉄の反省で当初は自制的に


 1982年9月、政府の第2次臨時行政調査会は新幹線の新規着工凍結を勧告した。多額の赤字を垂れ流していた国鉄を民営化する際、新幹線の建設が水を差すと判断したためだ。


 しかし、政治家にとって新幹線の建設は有権者にアピールできる絶好の機会。5年後に凍結が解除され、東北の新青森〜盛岡、北陸の高崎〜長野と高岡〜金沢、鹿児島ルートの新八代〜鹿児島中央の着工が決まった。


 とはいえ、当時の判断は自制的だった。政治家の意向を聞いた国鉄が不採算路線を次々と造った結果、国鉄の赤字を拡大させた反省があったため、財源を確保できる範囲での建設にとどまった。


 例えば、政府・与党は複雑なスキームで財源を捻出し、北陸新幹線では高崎〜軽井沢、軽井沢〜長野、石動〜金沢、糸魚川〜魚津などと尺取虫のように小刻みに建設を進めた。さらに、1998年の長野オリンピックに合わせるため、北陸の高崎〜長野には財政投融資資金を投入することになったが、当時の与党である自民、社会、さきがけは「今後、整備財源で有利子資金の借り入れは行わない」と明記した。つまり、国鉄の失敗を教訓にして、政治自らが「借入金で整備新幹線を延伸するのはこれが最初で最後」と約束したのである。


 1996年12月の政府・与党合意でも着工の条件として、収支採算性や受益の範囲でのJRの負担、用地確保の見通し、並行在来線の経営分離に関する沿線自治体の同意、新幹線を運行するJRの同意を課し、野放図な建設に歯止めを掛けた(これは民主党政権期の2009年12月、①安定財源の確保、②収支採算性、③投資効果、④JRの同意、⑤並行在来線の経営分離に関する沿線自治体の同意—に整理された)。


◇ タガが外れつつある着工


 こうしたタガが最初に外れたのは2004年12月の政府・与党合意である。この時は北海道の新函館北斗〜新青森、北陸の長野〜金沢車両基地と福井駅部、長崎ルートの武雄温泉〜諫早の着工を決めたが、財源確保のために限定付きで借金に手を染めた。さらに、並行在来線に関して地元の足並みがそろっていない中で、長崎ルートの着工を決めた。


 そして今、既に着工した路線の早期完成を図る方策として、財政投融資資金の活用が模索されており、2016年度第2次補正予算に必要経費が計上された。これは「借金に頼らない」という大方針を完全に放棄することを意味する。どうやら政治家の「我田引鉄」が国鉄の債務を膨らませた反省も、国鉄債務処理に関する財源確保で四苦八苦した辛い記憶も忘れてしまったらしい。


 さらに、着工路線以外でも新幹線建設を求める声が出始めている。例えば、四国知事会は2012年7月に四国新幹線、四国縦断新幹線の調査を要望。福岡、大分、宮崎、鹿児島4県と北九州市で構成する東九州新幹線鉄道建設促進期成会は今年3月、「北九州〜鹿児島の東九州新幹線が開通すれば、北九州〜大分は4時間32分から1時間19分、宮崎〜鹿児島は2時間9分から29分に短縮する」との試算を公表している。実際、全国新幹線鉄道整備法の候補(計画路線)には表の11路線が依然として記載されており、「世迷言」とは言い切れない面がある。


 確かに新幹線はCO2の排出が少なく、開通すれば経済効果も大きく、早期建設や延伸、新規着工を望む声は理解できる。さらに、毎年の総事業費は約2,000億円(国の予算は約700億円)であり、国家財政に大きな影響を与えているとは言えない。

 

表1:全国新幹線鉄道整備法の計画路線

 出典:九州新幹線鉄道建設促進期成会(2016)「東九州新幹線調査結果」より作成


 しかし、人口減少が進む中で新幹線がどこまで有効なのだろうか。着工の際に収支採算性を評価するとはいえ、30〜50年後の需要は確実に減少する。しかも借入金で造れば、負担のツケ払いは後世までに及ぶ。


 さらに、沿線自治体の住民の生活も無縁とは言えない。JRが並行する在来線の経営切り離しを決めると、自治体は第3セクターで運行を継続することになるが、既に青森、長野などの並行在来線では運営赤字が自治体財政を圧迫しており、「新幹線を誘致できれば地域は豊かになる」という時代ではなくなっている。国鉄改革当時の初心に立ち返った慎重な対応が求められる。


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丘山 源(おかやま げん)

 大手メディアで政策形成プロセスを長く取材。現在は研究職として、政策立案と制度運用の現場をウオッチしている。