フリーランサーとして食いつないでゆくために、過去、収入の一定の割合を週刊誌の稿料に依存してきたし、今後もそうだろう。そんな立場にありながら、自分に週刊誌の舞台で抜きん出た活躍をする適性がないことは、十二分に自覚している。あくまでも地味な“ルポ屋”として、主要記事の隙間を埋めるだけの書き手でしかない。
名の知られた人々のモラルの逸脱やスキャンダルを暴き立ててなんぼ、というこのメディアの特性を考えれば、私のように“正義感が薄い性格”の持ち主は、記者として致命的な不適格者である。異性問題や薬物汚染、人間関係のもつれなど、著名人のプライベートなゴタゴタに感情を動かされることは、ほとんどない。そもそもこの世のたいていの人間は自分と同様に、だらしなく、意志の弱い人々だと思っており、よほど限度を越え、言語道断の話でない限り、“けしからん”と憤る気持ちは湧いて来ないのだ。
ただ、そんな私にも、人並み以上に過剰反応してしまう例外的ジャンルが存在する。有名人の経歴詐称である。
人は弱く、さまざまな局面でウソをつく。ピンチに追い込まれ、その場しのぎで言い逃れをするケースを責めるつもりはない。ただ経歴詐称は、その手のウソとはステージの違う話だ。自らの価値を水増しする目的で、偽りの経歴、プロフィールを掲げてはばからない人は、その人格の根本に欠陥があるとしか、私には思えない。病的な虚言癖の人、もしくは詐欺師のたぐいの人。私の目に経歴詐称者は、そんなイメージでしか映らない。
少し前に話題になったショーンK氏の報道にも、そう感じた。見た目の印象はむしろ誠実で、ウサン臭さは皆無だっただけに、報道のインパクトは大きかった。
今週の週刊文春では、元NHKキャスター・宮崎緑氏の経歴詐称疑惑が報じられている。天皇「生前退位」問題の有識者会議メンバーとして久々にその名を聞き、懐かしさを覚えていたのだが、その直後に思わぬ醜聞が飛び出した格好だ。正直なところ、昔から上昇志向の強そうな女性、というイメージは薄々感じていたものの、NHK看板番組のキャスターというその肩書きの重みもあり、かつてその発言の真偽を疑ったことはなかった。
問題の経歴は、報道の世界を離れたあと、「東京工業大講師」を務めた、という部分だ。文春記事によれば、実際にはある教授が毎週、行政関係のゲストを呼ぶ授業で、司会役を任されていただけだった、という(本人はあくまでも非常勤講師だったと主張している)。東工大の社会工学科がすでに存在せず、記録も残っていない、ということで、黒白の「決定的証拠」が暴かれるには至ってはいないが、かなり濃い灰色、という印象を受ける。
報道からアカデミズムの世界へと転身した華やかな履歴にほんの一行だけ挟まれたこの部分に、ウソを書くメリットなど何もないように思えるが、その後、千葉商科大の助教授・教授へと続くキャリアを築く前提として、東工大講師のポストが「礎」になった、と文春記事は言う。この最初のステップがなかったら、アカデミズムでのキャリアすべてが存在しなかったかもしれない、という話であり、それが本当なら、ただ単に“箔をつける”という以上の罪深さがある。
グレーゾーンの段階ではこれ以上のことは言えないが、もしこれが完全に詐称として確定した場合、その事実は以後、彼女の全人格の評価に影を落とす。「履歴書のたった一行」を削除して、修正できる話ではなくなるのだ。
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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。