前回の本欄で、週刊文春に載った元NHK女性キャスター・宮崎緑氏の「経歴詐称疑惑」を取り上げた。NHKを離れたあと、東工大講師を務めた、という肩書きが疑わしい、という記事だったが、今週の週刊新潮によれば、宮崎氏自身がその後、身の潔白を証明する当時の「人事異動通知書」を見つけ出したという。記事には、その「人事異動通知書」の写真も添えられている。


 筆者は先週の本欄を「文春報道の限りではグレーゾーンだが疑いは濃い」というニュアンスで書いてしまった。とんだ見込み違いであり、氏に謝罪したい。決定的証拠が見つかっていない以上、詐称と呼び得るかどうかは不明、というトーンで留めるべきだった。


 新潮記事によれば、文春が宮崎氏に講師だった証拠を求めたが、締め切りまでに提示がなく、“見切り発車”してしまったという。


 その文春には、週刊現代に対する批判記事が載っている。『精神障害者団体の「ねつ造」指摘に週刊現代が逆ギレ』とする記事で、ある精神疾患支援団体が特定の治療薬の死亡率が高いことについて、厚労省に質問したところ、そのことを取り上げた現代が、団体から「コメントを著しく歪曲・加工して掲載した」とクレームを受けたという。


 記事によれば、当初現代は団体の抗議を受け、謝罪記事を載せる意思を示したが、その後、文春が『「週刊現代」医療記事はねつ造だ!』と報じた途端、態度を一変させ、逆に団体に「法的措置を検討せざるを得ません」と抗議する文書を送りつけたという。


 とまぁ、今週は新潮→文春、文春→現代、とライバル誌の批判記事がたまたま重なった。自分自身、それに触れたから言うわけではないが、時間に追われて記事をつくる報道に誤りはつきもので、問題はミスが明らかになったとき、すみやかに訂正するか否か、という話である。


 現代もメンツをつぶされた怒りはあるにせよ、頑なに非を認めず、妙に頑張ってしまうと、事態が泥沼に入り込んでしまうこともままある。老婆心ながら、現代にも文春にも「頑張りすぎないこと」を望みたい。


 とはいっても、紙媒体はまだ事実関係の争いで、証拠や証言がモノを言うだけ救いがある。私が昨年来、手掛けている沖縄問題では、いわゆる沖縄たたきのネット情報は7割方、デマや事実誤認、あるいは妄想をベースに語られている。情報の誤りがいくら正されても、焼け石に水。“声の大きさ”が真偽に優先する恐るべき世界になってしまっている。


 今週の文春記事に関連してもうひとつ。巻頭に、都議会自民党の偽造領収書の問題を追及する記事があるが、かたや先の国会質疑では、稲田防衛相の政治資金パーティー・白紙領収書について「法的に問題なし」との答弁がなされている。取材経費の課税控除で四苦八苦する身としては、「ホントかよ」と言いたくなる話だが、週刊誌各誌はこれを見逃してしまうのだろうか。来週の展開を見守りたい。 


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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。