10月は「てんかんを正しく理解する月間(てんかん月間)」。日本てんかん学会と日本てんかん協会が、全国で集中的な啓発活動を行っている。10月7〜9日に静岡市で開催された「第50回日本てんかん学会 年次学術集会」では、4つの市民公開イベントのうち「てんかんと映画」と銘打って、てんかんが関わる国内外の映画9本が上映された。


患者の視点、医療者の視点


 公開映画のうちの1本『...First Do No Harm』(1997年、米国のテレビ映画、邦題:誤診)は、エビデンスに基づく治療を基本とする医療者のありかたと患者の希望がくい違ったときに、どういう決断をすべきかを考えさせられる作品。ジム・エイブラハム監督の息子の実話からドラマ化された物語である。

 

 ローリ(メリル・ストリープ)は、長距離トラック運転手の夫デイブ、3人の子どもとともに農場内の家で暮らす平凡な主婦だ。ある日、末っ子のロビーがてんかんの発作を起こし、幸せな日々が一転する。幼稚園から「おやつのお盆を運んでいて突然ぐにゃっと倒れた」「そのあとすぐ立ち上がったから大丈夫だとは思うけど・・・」との一報。何事もなかったかのように帰宅した後に、今度は強直間代発作(大発作)が起こる。運ばれた病院で鑑別のためのさまざまな検査を行ったうえで、あっさり「特発性てんかん」と告げられる。さらに「よいニュースは、徴兵では落とされる、ってことだよ」と軽口をたたくスタッフ。

 

 フェニトイン、カルバマゼピン、バルプロ酸・・・と投薬していくものの、日常的な発作はおさまらず、薬物療法が奏効しない難治性てんかんの様相が明らかになってくる。大発作での失禁や、便秘、不穏、スティーブンス・ジョンソン症候群などの副作用で、別人のように生気を失うロビー。間が悪いことに、デイブが運転手組合の所属支部を変えたために保険が下りず、一家は治療費の負担で生活にも困窮する。

 やむを得ず転院した郡立病院のアバサック医師は、開口一番「複数の発作が混ざっているため子どもの脳には耐えられず、知的障害が残る可能性がある」とはっきり告げる。新たにプリミドンを試みるものの効果はなく、発熱にも苦しまされるうえに、たびたび発作に襲われるロビーのベッドは、銀色の高い柵に囲まれ檻のようだ。打つ手がなくなった病院側は、脳外科手術のための検査を勧めるが、ローリは図書館通いをして他の治療法を探し始め、医学書をむさぼり読む。

 

 その結果、ケトン食療法の文献を見つけたローリは、治療を実施しているJohns Hopkins大学に電話をかけ予約の直談判をする。「その治療のことは知っているがエビデンスが不十分」と移送に反対するアバサック医師。最後は、一家の友人であるピーターソン医師(現在の医療のありかたに嫌気がさしパイロットになっている)と、ローリに共感した郡立病院の看護師の協力で受診にこぎつける。幸いなことにロビーにはケトン食療法が効を奏し、愛馬に乗って独立記念日のパレードをする場面で物語は終わる。さらに、出演者のうち4人(成人)が、かつてケトン食療法での治療に成功した患者だとの種明かしが待っている。

 

ストーリーの中で「治療がどれだけ患者を苦しめているかわかってない!」「次に何か起きたら“突発性の悲劇”だって言うの?!」と怒りをぶつけるローリ、「“科学的”とは二重盲検のことか。じゃあ、あなたがたの勧める手術は二重盲検をしているのか?」と詰め寄るピーターソン医師。一方、アバサック医師はジョンズ・ホプキンス大学への移送を認めた後も、「私は今でも(エビデンスが確立していない治療には)反対よ」と冷静で、決してロビーを“モルモット”にしたわけではないことも伝わってくる。

 

ケトン食の生化学

 ケトン食は、断食によるてんかん発作改善が食事再開後も数年持続したことにヒントを得て、1921年にWilder(米国、Mayo Clinic)が「低炭水化物・高脂肪食によるケトン血症がてんかんに有効」とし、ketogenic dietと名付けたのが始まりだ。絶食状態では脂質からのケトン体(アセト酢酸、β-ヒドロキシ酪酸、アセトン)生成が増え、アセト酢酸とβ-ヒドロキシ酪酸が脳のエネルギー源として使われるとともに、さまざまな薬理作用を示すものと考えられている。

 1930年代後半以降に抗てんかん薬の選択肢が増えるにつれ、ケトン食療法はてんかん治療の主流ではなくなった。しかし最近、糖尿病、メタボリックシンドロームに加え、脳腫瘍、各種がん、認知症、筋萎縮症などの神経難病に対する効果についても、米国を中心に、動物実験やヒト対象の臨床試験が計画・開始されているという。また、作用機序は未解明だが、GABA増強、シナプス小胞へのグルタミン酸取り込み抑制、けいれん抑制系アデノシンA1受容体賦活などが今後の着目点となっている。

 エビデンスの確立を目指す過程にある治療を目の前の患者に適用すべきかどうか。患者の希望を理解したうえで、専門家としての見解を示し、「少なくとも患者に害をなさない」ことを念頭にともに決定していくー理想を述べるのは簡単だが、現実は一筋縄ではいかない(玲)。