今年の台風は例年にないコースを辿り、各地に多くの被害をもたらした。


 8月には北日本を直撃した台風10号によって増水した川が氾濫し、岩手県岩泉町のグループホーム「楽ん楽ん」で暮らしていた男女9人の老人が濁流に呑まれ犠牲となった。


 入居者はいずれも認知症の症状があり、その夜は当直の職員がひとりだった。


 グループホームの隣には、同じ組織が運営する介護老人保健施設があった。そこには約80人の入所者と20人の職員が働いており、台風で鉄筋3階建ての2階まで水が入ったが、全員が救助されている。


 楽ん楽んの入居者は、非常時には隣のその施設に避難するようになっていたようだが、9人の中には、認知症の程度が重い人や車椅子を利用している人もいて、自力で避難することができない入所者が複数いた。当直ひとりの職員では対応しきれなかっただろう。


 このグループホームは木造平屋建てで、地図で見る限り、町の中心部からは離れている。


 岩泉町のHPによると「耕地は少なく、林野率が高く、河川は小本川、安家川、摂待川があり、この流域に沿って集落を形成し」、「本州一広い町」なのだという。


 こうした社会福祉施設は、往々にして土地の安い、街の中心部から離れた場所に建設されることが多い。


 しかし、防災という視点から考えてみると、果たしてそこが施設にふさわしい場所だったのか、疑問が残る。隣に避難場所はあったが、9人がそこまで安全にすみやかに避難することができなければ、避難場所の意味はない。


 人里離れた場所がすべて悪いとは思わないが、そこが入所者以外の人たちにとっても不便で遠ければ、人的交流が失われ入所者にとっては「隔離」されているのと同じことだろう。こういった施設が本当に必要なのだろうか。


 1995年、阪神淡路大震災の直後、あるマンションに住む視覚障害者の夫婦を取材した。建物は地震に耐えた。しかし、火の手が迫っていた。ふたりとも視覚障害のあることを知っているマンションの住人は、ドアを叩き、逃げるように促した。幸いこの夫妻は無事に避難所へ身を寄せることができたし、建物も火災からまぬがれた。


 ノーマライゼーション、共生と声高に叫ばなくても、こうした形で障害者が地域で生きていくことができれば、防災の考え方も避難方法も変わってくるのではないだろうか。


 もちろん、誰もが自分の命を守るのに精いっぱいの極限状態では、予期しない事態に陥ることもある。木造モルタルのアパートで、車椅子を使いながらひとり暮らしをしていた女性がいた。アパートは阪神大震災で無残に倒壊していた。


 車椅子に乗った仲間らが倒壊したアパートにかけつけ、その女性を救出しようとしたが、彼らに瓦礫を取り除くことはできなかった。警察、消防署に救出を懇願した。事情を聞いた警察官はしかし、「少しでも可能性のある方を優先せざるをえない」と答えた。


 それに対して車椅子に乗っていた青年が叫んだ。


「弱い者が先と違うのかっ!」


 この叫び声は、今も私の耳にこびりついている。アパートに住んでいた女性は結局、玄関まで逃げてきたようだったが、そこで亡くなっていた。


 批判覚悟で言えば、震災によって予期せぬ最期を迎えたとはいえ、それでも施設で暮らしているよりは、彼女にとっては地域社会で生きた時間のほうが、思い通りの生活が送れたのではないだろうかと思う。


 80年代後半だったと記憶しているが、青森県のある精神病院の院長を取材した。


 そこに精神病院を建設することが決まった際、地元住民から猛烈な反対運動が持ち上がり、署名活動が行われた。


 反対運動を踏まえて建設を断念したかというとまったく逆で、その院長は反対運動で集まった以上の数の建設を認める人たちの署名を集めたのだ。その病院はいま、2代目が継いでいる。


 保育園、幼稚園でさえ、建設計画が持ち上がると、その騒音を危惧して近隣住民から反対運動が起きる。こうした現実を考えると、人里離れたところに建設されるのも必然性があるのかもしれない。しかし、本来は障害者も老人も普通の暮らしができるような地域社会のありようを、もう一度見直さなければならないのではないだろうか。


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高橋幸春(たかはしゆきはる) 1950年埼玉県生まれ。早稲田大学卒業後、ブラジルへ移住。サンパウロで発行されている日系紙パウリスタ新聞(現ニッケイ新聞)勤務を経て、78年帰国。以後、フリーライター。高橋幸春のペンネームでノンフィクションを執筆。87年、『カリブ海の“楽園”』(潮出版)で第六回潮ノンフィクション賞、91年に『蒼氓の大地』(講談社)で第13回講談社ノンフィクション賞受賞、『誰が修復腎移植をつぶすのか』(東洋経済新報社)など多数。2000年に初の小説『天皇の船』(文藝春秋)を麻野涼のペンネームで上梓、移植をテーマにしたミステリー『死の臓器』『死の臓器2』などがある。