民進党の蓮舫代表は、日本国籍と台湾籍の「二重国籍」問題について、10月7日、日本国籍の選択宣言をしたと発表した。


 アエラ(10月24日号)によれば、二重国籍者は40万人から50万人いるとされている。


 日本人同士の夫婦でも、出生地主義の国で子どもを産めば、その子どもは誕生した国の国籍を取得する。アメリカ、カナダ、ブラジル、ペルーなどがそうだ。日本国籍を取得するためには、在外公館に国籍留保届を提出しなければならない。こうした子どもは当然二重国籍となる。


 国際結婚も増えている。85年の国籍法改正施行以後、出生時に父または母が日本国民である場合は、その子は日本国籍を取得する。それ以前は、国際結婚であっても父親が日本人の場合に限ってその子どもに日本国籍が与えられていた。父と母の国籍を取得すれば、その子どもたちも当然、二重国籍だ。


 父親は台湾籍、母親は日本人である蓮舫代表も、85年に日本国籍を取得したと公表しているようだから、彼女はこの法改正時に日本国籍を取得し、この時から二重国籍だったと思われる。


 二重国籍者は22歳までにどちらかを選択する義務がある。日本国籍を選択するには2つの方法がある。日本以外の国籍の離脱証明書を地方自治体に届けるか、国籍選択宣言をするか、そのどちらかだ。

 なにゆえ2つの方法があるのか。


「国籍離脱が困難な国もあるので、国籍選択宣言という方法で柔軟な対応をとっている」(法務省)


 蓮舫代表が批判にさらされているのは、その手続きを怠っていたからだ。結局、遅ればせながら蓮舫代表は国籍選択宣言を行ったということのようである。


 日本と台湾との間に利益相反が生まれたときにどうするのか。そういったことが背景にあり、蓮舫代表の二重国籍がクローズアップされているのだろう。しかし、政治家はその業績で評価されるべきで、二重国籍そのものが蓮舫代表の評価を下げるものではない。 


 たとえば戦前のアメリカに渡った日本人移民とその子弟。日米が戦争状態に陥ったことで、彼らは利益相反の極致に置かれた。


 当時、永住目的でアメリカに移住した移民は少なく、多くが出稼ぎだった。2世たちはアメリカ国籍と同時に多くは日本国籍留保手続をとっていた。日系人だけで組織された米軍の「第442連隊戦闘団」にも多くの二重国籍者はいたはずだ。ドイツ軍が支配していたブリエアでは、212人のテキサス出身の兵士を救出するために、日系人部隊が出した犠牲者は戦死者約200人、負傷者600人以上といわれる。


 アメリカには、多くの犠牲を払いながらその忠誠心を認めさせてきた歴史がある。国籍選択の宣言をしたかどうかより、政治家としての蓮舫代表の業績が問われるべきだろう。


 またアメリカと同じ移民の国と言われるブラジル。法律上、ブラジルでは公務員、連邦議員、大臣、大統領などは二重国籍者がつくことは認められていない。しかし、この法律は厳密には運用されていない。有名無実と言っても過言ではない。12年の地方統一選挙では、28人の外国籍を持つ市長と158人の市議会議員が当選を果たしている。14年の選挙では、7人の二重国籍者が連邦議員にも立候補している。この中には日系人も含まれる。


 こう書いていると、私は蓮舫代表を支持しているように見えるかもしれないが、決してそうではない。テレビカメラに向かって、「私は日本人です」と声高に叫んでいる彼女を、私自身は白けた気持ちで見ていた。正確には「台湾籍の父、日本人の母の間に生まれ、二重国籍を持っています」と答えるべきだっただろう。国籍選択手続が遅れていたことに対しては、認識が希薄だったのか、なんらかの理由があるのか、それを明確に釈明すればいいだけのことだ。


 この問題で、国会議員は日本人の血をひくものでなければ、国家に忠誠が尽くせないといった雰囲気が助長されているのではないか。


 ペルー元大統領のアルベルト・フジモリを思い出してほしい。彼もまた二重国籍で、00年にペルーを追われ日本に亡命した。身柄を要求するペルー政府に対して、日本国籍を持つことを理由に日本政府は引き渡しを拒否した。そのフジモリは07国民新党比例代表公認候補として立候補している。この時、彼の二重国籍はまったく問題にされていない。


 今回の蓮舫代表の二重国籍問題の背後には、偏狭なナショナリズム、レイシズムが潜んでいるように思える。


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高橋幸春(たかはしゆきはる) 1950年埼玉県生まれ。早稲田大学卒業後、ブラジルへ移住。サンパウロで発行されている日系紙パウリスタ新聞(現ニッケイ新聞)勤務を経て、78年帰国。以後、フリーライター。高橋幸春のペンネームでノンフィクションを執筆。87年、『カリブ海の“楽園”』(潮出版)で第六回潮ノンフィクション賞、91年に『蒼氓の大地』(講談社)で第13回講談社ノンフィクション賞受賞、『誰が修復腎移植をつぶすのか』(東洋経済新報社)など多数。2000年に初の小説『天皇の船』(文藝春秋)を麻野涼のペンネームで上梓、移植をテーマにしたミステリー『死の臓器』『死の臓器2』などがある。