自らの人生の選択では、破滅的に馬鹿げた道ばかり選んでしまうのに、日常の生活空間でハイテンションなバカ騒ぎをする人は、どうにも苦手である。それでも、今週の週刊新潮が取り上げた“ハチャメチャな人々”をめぐる2つの特集には、どこか微笑ましく懐かしい“昭和のバカさ加減”を感じた。


 ネットニュース編集者・中川淳一郎氏による『私が見てきた「電通と博報堂」バカざんまい』と、『OB・OGが思い出すのも恥ずかしい「私と東京藝大」』という、それぞれに違った集団にまつわる読み物だ。内容は決して昔話ではない。


 前者・広告代理店をめぐる記事は、新入社員の過労自殺や東京五輪エンブレム騒動など、このところ電通をめぐる不祥事・不手際が頻繁に報じられたことから書き起こしている。元博報堂社員の中川氏はしかし、マスコミに絶大な支配力を持つ電通が過去、不祥事報道をことごとく握りつぶしてきた、というような噂を、「都市伝説」だと言い切る。現実の広告業界はそれほど大層なものではなく、その実態はむしろ、バブル期に4コマギャグマンガで描かれた『気まぐれコンセプト』の世界に近い、というのである。


 氏によれば、このマンガには「チャラい」「バカ」「社畜」「滑稽」「大げさ」といった業界の特徴が的確に捉えられており、クライアントと制作会社、メディアとの間で日々、右往左往する軽薄なノリの広告マンこそが“業界の人々”の実像だという。


 時には“女性タレントに手を出しちゃったり”しながら、過重労働でドタバタする業界の内情が、記事にはさまざまに描かれているのだが、私はその昔、『気まぐれコンセプト』の愛読者だったこともあり、80年代の軽薄な世相を象徴していたのが、まさにあのマンガの世界だったなぁ、と感慨に浸ったのだった。


 もう一本の特集、奇人変人の巣窟・東京藝大を取り上げた記事は、新潮社の『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』(二宮敦人著)のパブ記事である。正直、記事そのものの出来はイマイチで、藝大生たちの“狂気”は十分には伝わって来ないのだが、本体の単行本にはきっと、彼らの生態が濃厚に描かれているのだろう。


 風呂を嫌い、猛烈な異臭を放つジャージだけを着て大学生活を送った現代美術家・会田誠氏や、大学のシステムに反逆し、アトリエを占拠・籠城して卒業をふいにしたアーティスト・映画監督の増山麗奈さんなどの回顧談からは、広告業界の“おしゃれなハチャメチャさ”とはまるで違う、旧制高校的なバンカラさに芸術家ならではの狂気が加わった、独特の匂いが感じられる。


 現代の社会全体を覆っている、忖度・自主規制の保身ヒラメ社会、社会的弱者をネットで集団リンチをするイジメ体質など、気の滅入る現実と照らし合わせれば、かつてはさまざまな形で存在したバンカラ・ハチャメチャの突き抜けたテンションには、古き良き日本の一面があり、懐かしさを覚える。


 個人的には、藝大に比べ、広告業界の悪ノリにはやや警戒心もある。バブル時代のチャラい悪ノリは、一歩間違うと慶応大サークルの集団レイプのような嫌悪すべき愚行と地続きの風潮にも思われるからだ。“正しい愚行・悪ノリ”とは、何ひとつ打算が入り込む余地のない、とことん破滅的なものであってほしい。何ら説得力のない主張だが、私自身は勝手にそう願っている。 


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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。