そのニュースを聞いて驚いた人も多いだろう。アメリカの人気歌手(シンガー・ソングライター)、ボブ・ディランのノーベル文学賞授賞の発表である。


 「どこが文学なのか」「いや万間違いなく立派な文学だ」「文学と音楽は別物のはず」。文学賞の授与が決まった翌日、早くも世界の文学界や音楽界、そして欧米のメディアからは賛否両論の声が次々と挙がった。


 日本の新聞は朝日、毎日、東京が社説として扱った。しかし読売、産経、日経は無視した。これほど極端にはっきり分かれるのも珍しい。革新派にはうけるが、保守派はその価値さえ認めないようである。


 個人的には今回の受賞は、どこか政治的臭いがしてしようがないのだが……。


■公民運動、反戦歌だが、その歌詞は難解だ


 ボブ・ディランは1962年にフォーク歌手としてデビューした。デビューから半世紀以上もたつ。「風に吹かれて」「時代は変る」といった初期の代表作は、ベトナム戦争に対する反戦歌としてあるいは黒人の人種差別解消を求めた公民権運動の象徴として若者の間で絶大な人気を得た。いわゆる抵抗の歌である。当然のように日本でも60年代の学生運動の中で歌われた。日本の吉田拓郎も大きな影響を受けたという。


 ギターの弾き語り、ハーモニカも吹く。たたみかけるようなだみ声で自分の言葉を自分のメロディーで歌った。その後、ロックに転向し、カントリーやブルースにもその才能を発揮した。


 しかしながらボブ・ディランの歌詞は非常に難しい。たとえば「風に吹かれて」の冒頭にある「どれだけの道を歩けば、マンと呼ばれるのか」というフレーズ。一人前の男とみなされるにはかなりの人生経験を積む必要がある、という意味に受け取られる。だが、彼の伝記的映画「ノー・ディレクション・ホーム」によると、このフレーズには「どれだけのときが過ぎれば、黒人を人として認めるのか」との意味があるという。かつてアメリカでは黒人は大人になっても「ボーイ」と呼ばれ、馬鹿にされていた。


 このように歌詞が難解だからこそ、「最も深い意味では文学だ」という意見がある一方で、「シンガー・ソングライターとしては好きだが、どこに文学性があるのか」という反対意見も多いのだろう。


■文学賞は理想主義的傾向の優れた作品の作者へ


 10月14日付の東京新聞の社説は「ボブ・ティランは詩人である」と言い切り、とても社説とは思えない文体で「なあに驚くには当たらない。小説も詩も歌詞も、肝心なのは言葉の力さ」と読者に語りかける。


 「言葉の力で本当に時代を変えた人である。75歳の今も現役」と書き、「メッセージ性や社会批判を重視するといわれる文学賞。二重三重の意味を持つという歌詞の文学性…。むしろ王道の受賞者といってもいい」と主張する。


 この文学賞の授賞を評価する東京の社説は革新好きなこの新聞社らしい。


 次に毎日新聞の社説(15日付)。「ノーベル文学賞の歴史上、一つの事件と言えるだろう」と書き出し、「歌手の受賞は初めてであり、世界中で歓喜と当惑を持って受け止められている。選考の経緯は50年たたないと公表されないが、文学の概念が拡大したと捉えることもできる」「『理想主義的傾向を持つ最も優れた作品を書いた人』というノーベル賞創設者、アルフレット・ノーベルの遺言に、アカデミーが新たな解釈を加えたとも言えるのではないか」と解説する。


 この毎日の社説も東京と同様に、授賞にかなり肯定的である。


 同じく15日付の朝日新聞の社説は「時代は変わり詩は輝く」との見出しを立て、最後は「自伝にある『わたしの運命は命の息吹が導くまま展開していく』の言葉どおり、転がる石のように進む歌手に、現代の吟遊詩人という呼び名が加わった」と朝日らしく格好を付けた終わり方だ。


■世界は果てしなく過激で混沌としてきた


 この朝日の社説の中で気になるのが「今回の授賞の意味をどう受けとめたらいいのだろうか」という問いかけの後にある次の部分である。


 「米国では大統領候補が互いをののしりあう。言葉による交渉の成立しない過激派組織『イスラム国』が世界を恐怖と混沌に陥れている。日本でも、ネット上のギスギスした物言いが人々を傷付け、追い詰めている」


 その米国の大統領選。本選は11月8日だが、9月26日から計3回にわたって勝敗に大きな影響を与えるテレビ討論会が行われた。


 68歳になる民主党候補のヒラリー・クリントン前国務長官対70歳の共和党候補、ドナルド・トランプ氏。「トランプ氏はその資質が大統領にふさわしくない」(ヒラリー氏)、「夫のクリントン元大統領は女性にひどいことをした」(トランプ氏)など、そのののしりあいは、朝日新聞が指摘するまでもなく過激だった。


 警官による黒人射殺事件。悪化する一方の銃社会の悲劇。膨大する移民問題などアメリカ社会は混沌とし、もはや「アメリカンドリーム」と呼ばれた理想や、「世界の警察」と言われた権威を失いつつある。


 混沌としているのは、アメリカだけではない。南シナ海でわが物顔で軍事行動を取る中国。その中国にすり寄るフィリピンの大統領。核兵器の開発を止めない北朝鮮、自爆テロを重ねるイスラム国…。世界は果てしなく過激になり、混沌としてきた。


 こんな時代だからこそ、文学賞の選考主体のスウェーデン・アカデミーは、「反戦」「公民権運動」の騎手であるボブ・ディランにノーベル文学賞を授賞したのだろう。その意味でかなり政治的なのである。(沙鷗一歩)