大衆は単純で思慮深さに欠けたどうしようもない存在なのかもしれない。ときには予想だにしない行動を取ることもある。それを巧みに利用したのが、トランプの戦法だったと思う-。これが今回の米大統領選の私の感想である。11月8日のアメリカの大統領選挙は、共和党候補の70歳のドナルド・トランプ氏の勝利に終わった。アメリカの各メディアは世論調査をもとに民主党候補の69歳のヒラリー・クリント氏が7割以上の確率で勝利するとまで予測していたが、これが完璧に外れた。

■既存メディアを敵視してSNSで攻撃を繰り返す

 トランプ氏はツイッターやフェースブックなどのSNS(ソーシャルメディア)を駆使し、激しい言葉でしかも分かりやすく、有権者に訴えた。己を利するためには、虚偽の情報であっても何度も伝えた。そうすることで嘘でも真実のように思われるようになっていった。差別的な発言や排他的意見であっても、激しく訴えることで有権者は「トランプなら本気でアメリカを変えてくれる」と大衆は期待したのである。これがトランプの勝利につながった。

 これまで新聞やテレビといった既存メディアは、候補者と有権者との間の伝達役を担ってきた。しかし、トランプはその既存メディアを飛ばして直接、SNSで大衆に訴えかけた。しかも既存メディアを「敵」とみなしてことごとく攻撃した。

 トランプ氏のツイッターアカウントのフォロワーは、今年の2月時点でおよそ600万人だったが、いまでは1500万人にも膨れあがっている。トランプ氏は選挙後の10日夜、当選に抗議するデモに対し、ツイッターで「既存のメディアにそそのかされている」と発信している。その3日後の13日にはトランプ氏の人種差別や女性蔑視などの問題を厳しく追及してきたニューヨーク・タイムズ紙について「『トランプ現象』を不正確に報道し、その結果、何千もの読者を失っている」とも批判した。

 トランプ氏を支持する大半が、移民に職を奪われたプアホワイト(白人低所得者層)だといわれる。米国にはいま、大きな格差が広がっている。たとえば、国民の三分の一は、親が大卒でも経済的理由から大学には通えない。将来への不安から高卒以下の中年の白人男性の自殺が急増している。アメリカ国民は格差の拡大で疲弊した社会を変えてくれるとオバマ大統領に期待したが、オバマ氏にはできなかった。オバマ氏への失望感がトランプ氏を押し上げた。大衆はきれいごとを言わないトランプ氏の姿に希望を感じた。

 新聞やテレビの既存メディアの予想がなぜ、外れたのだろうか。アメリカの大手調査機関によると、トランプ氏を指示する層の白人労働者の多くは、既存メディアに対する不信感があってアンケートに答えていない可能性があった。世論調査では、社会のあらゆる階層の意見を聞いて分析を重ねることで正確な結果が期待できる。しかし実際は層によって答えなかったり、調査が届きにくかったりする。

 新聞のほとんどが、社説で「反トランプ」を唱えた。だが大衆はオバマ大統領や民主党、クリントン氏の既存政治に不満を抱え、新聞の主張は届かなかった。一方、テレビ局。トランプ氏は積極的にテレビの取材に応じた。これまでテレビで司会役を務めてきた経験と知識を生かし、過激な発言も繰り返した。しかしトランプ氏が共和党の大統領候補になることが確実になった夏からは、トランプ氏の政策や発言に対し、否定的に報じるようになってきた。

■日本の新聞各紙の社説もトランプ勝利には否定的だ

 ところで日本の新聞はトランプ氏の勝利をどうみているのか。勝利直後の11月10日付の各紙の社説を覗いてみよう。

 朝日新聞は「危機に立つ米国の価値観」との見出しを立て「『内向き』な米国の利益優先を公言する大統領の誕生で、米国の国際的な指導力に疑問符がつくことは間違いない」と厳しく指摘したうえで、「米国の役割とは何か。同盟国や世界との協働がいかに米国と世界の利益になるか。その理解を急速に深め、米外交の経験と見識に富む人材を最大限活用する政権をつくってほしい。日本など同盟国はその次期政権と緊密な関係づくりを急ぎ、ねばり強く国際協調の重みを説明していく必要がある」と訴える。なるほどその通りだと思う。

 読売新聞は社説の書き出しから「政治や公職の経験がない人物が初めて米国の大統領に就く。日本などとの同盟の見直しを公言している。『予測不能』の事態の展開にも冷静に対処することが肝要である」と主張する。さらに「トランプ氏は、公約の正しさが評価されたのではなく、『反クリントン』の波に乗って勝利したことを自覚すべきだ」とも強調する。この社説の見出しは「トランプ氏勝利の衝撃広がる」である。

 毎日新聞の社説の見出しも「世界の漂流を懸念する」とトランプ氏に否定的だ。ほかの新聞の社説も「民衆の悲憤を聞け」(東京新聞)、「『自由の国』であり続けよ」(産経新聞)、「米社会の亀裂映すトランプ氏選出」(日経新聞)とみなトランプ氏の勝利を肯定していない。

 大統領就任が決まった後のトランプ氏は過激な発言を控え、融和姿勢をアピールした。11月10日にはオバマ大統領との初会談に臨み、「史上最悪」「最も無知」と非難していたオバマ氏を「非常に良い会合だった。相性抜群だ」と自らのツイッターに投稿するなど態度を一変させている。オバマ氏の協力を得て、政権移行を円滑に進めたいとの思惑があるのだろう。

 ただし、21日にインターネット上で発表した就任後100日間の優先政策では持論の「米国第一主義」を掲げ、TPP(環太平洋経済連携協定)からの脱退を明言するなど、白人労働者層の支持者らに直接訴えかけている。路線変更に対し、支持者が反発するのを防ぐ狙いが透けて見える。

 今後、トランプ氏が正式に大統領に就任した後、その発言や行動がどう変わっていくのか。日本を含めた世界各国がしっかりと監視していく必要がある。さもなければ、世界中の人々が怪物トランプ氏を支持した単純でどうしようもない大衆と同じレベルになってしまう。(沙鷗一歩)