いわゆるカジノ法案が成立した。それほど素晴らしいものだと思うなら、一度つくってみればいい。思わず捨て鉢に、そう言いたくなりそうだが、真面目に賛否を問われれば、やはり「反対」と答える以外ない。カジノ上陸の暁には、ばくち狂いになり、身を持ち崩す人が大量に現れることは目に見えているからだ。 


 競馬、競輪、競艇からパチンコ……すでにこの国はギャンブルで溢れかえっており、今さら騒ぐことじゃない。そんな言い方をする人もいる。だが、例えばパチンコと比較した場合、カジノ依存のもたらす当人へのダメージはケタ違いになる。競馬や競輪は知らないが、パチンコとカジノなら、はっきりとそう言える。私自身、この2つには相当に高い授業料を払ってきたからだ。 


 たとえて言うならば、ひと玉4円あるいは1円で遊ぶパチンコに、「40円玉マシン」「400円玉マシン」のコーナーもできるようなものだ。朝から晩まで粘っても数万円〜十数万円の勝ち負けに収まるのがパチンコだが、カジノのスロットマシンなら、10倍、100倍のレートで一気に勝負を決められる。ポーカーなどテーブルゲームも同じだ。 


 低レートで稼いだ勝ち金を元手に運試しを、あるいは、負け分を取り返す一発逆転の大勝負をと、高額のコインやチップに手を出して、万が一、大勝ちの幸運に見舞われようものなら大変だ。かなりの確率でその人は常習者の仲間入りをする。足しげくカジノに通ううち、取り返しのつかない泥沼へとはまってゆくのである。 


 かつて私が7年間暮らしたペルーの首都リマは、大衆店から高級店まで日本のパチンコ屋のようにカジノが溢れていた。自分も含め、入り浸るのは依存症的な人ばかりだ。金持ちも貧乏人もそれぞれのレベルで中毒になる。“健全に適度に遊ぶ人”などめったにお目にかかれない。人々の欲望を狂わせて成り立つのがカジノ産業である。 


 日本にカジノができてももう、自分は近寄る気はないが、ギャンブルを原因とする家庭崩壊や借金苦による凶悪犯罪は間違いなく増える。でもこの国の為政者は、それでいいのだろう。その適当さには脱力してしまい、怒りすらわかない。 


 今週の各誌はあまりカジノ法案を取り上げてはいない。新潮が『安倍官邸の目論見は「トランプ」を日本カジノにご招待!?』と、カジノ経営者でもあるトランプ次期米大統領に引っかけた記事を出し、現代が『審議6時間 カジノ法案を「無理通し」する安倍の真意』として、首相周辺に食い込むアミューズメント業界大物の存在に触れている程度だ。 


 文春はユニクロ潜入第3弾のほか、過労死自殺があった電通の内部事情に踏み込んだ大型ルポも掲載した。あと、新潮で気になったのは『「天皇陛下」お誕生日会見に戦々恐々の人々』という記事。生前退位という問題を「特例法による一代限りの措置」で終わらせようとする官邸と、恒久法による抜本的な改革を求めている天皇のご意向の“静かなる対立”に着目した内容だ。 


 それにしても、「特例法」「一代限り」は当初から官邸の方針とされ、忠実にそれに沿った結論に持って行こうとする「有識者会議」の動きは、はなはだ興醒めな茶番劇である。「恒久法」を望む陛下御自身の意向は明確だし、国民の大多数もそれに賛同する。にもかかわらず、その阻止に躍起になる政権。結局のところ、安倍政権を支える日本会議的価値観は、一見、右派・民族派に見えるが、実際には尊王心など微塵もない“国家主義もどき”でしかないことが、この件で浮き彫りになりつつある。 


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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。