新専門医制度は医師および医療界では熱い議論が交わされてきた。結果的には、当初17年度から新制度でのスタートが決まっていたが、主体となる日本専門医機構(以下、機構)のガバナンスに対する批判が出て、日本医師会の関与を高めることなどで18年度からのスタートとなり、細部の論議は多少のゆとりが生まれ、賛否の論議は一応収まった状態となっている。


 冒頭、「医師および医療界」での熱い議論と述べたが、実際、一般市民や医師以外の医療者には議論そのものが、何が問題なのかを含めて、うまく伝わっていない。メディアも議論の推移を伝えるのが精一杯だ。だが、この問題は先行きを間違えると、日本の医療構造が微妙に変化し、国民、とくに患者には強い影響を与える可能性が高い。そう言い切ってしまうのも少し自信はないが、しかし、患者の視点からこの制度の与える影響と将来展望をみると、国民的論議がほとんど行われず、医師、専門医の教育の問題として矮小化して伝えられる状況が続くと思える。


 こうした立場から、どこに新専門医制度の問題があるのかを、この連載で「素人的な発想」で投げかけてみたいと思う。今回は、新専門医制度が必要とされた背景、機構が発足した経緯、機構運営と検討内容をめぐる混乱をざっとながめ、そこで浮上しているいくつかの課題を挙げてみる。


●バラバラだった「専門医」


 専門医という名称が生まれたのはいつからか。言葉の定義をいじくるわけではないが、一般的な理解では、たとえば診療所で内科と標榜されていれば、一般市民はここの医師は「内科が専門」と理解するのは当然だ。耳鼻咽喉科、皮膚科、眼科などなど、患者は自分が現在、疾患として認識している状態に応じて科目を選ぶ。「専門性」に対する認識とは一般的にはそういうものだろう。しかし、このイメージ、認識としての「専門性」と「専門医」は医療界では意味が違う。しかし、医療機関のドアをノックする患者からすれば、「専門性」と「専門医」を明確に区分しているわけではない。


 専門医は関連する学会で、認定された医師のことだと患者側はどの程度理解しているだろうか。それだけに、「専門医」というカテゴリーをメディアはわかりやすく説明し、国民に伝える必要は大きい。しかし、それがそうならないのは、実は「専門医」が統一した解釈、共通化された能力・研鑽の裏付けということをためらわれる状況が多かったからである。


 専門医の呼称は、62年に日本麻酔学会が「日本麻酔指導医制度」を始めたのが最初だというのが医療界では常識化している。その後、いろんな学会に認定する制度が生まれ、専門医が増えた。疾患領域に関して、深く勉強し研鑽することは、医師の資質向上につながるし、結果として患者に利益をもたらすが、学会ごとの認定システムは、質の落差を生みやすい。むろん、機構を作ってプログラムを共通化したいというのは、この落差を縮小したいということがモチベーションになっている。それは、至極当然の成り行きであろう。


 また、こうした状況、つまりいろんな学会がてんでバラバラに認定している状況は、「専門医」の商品化、つまり何かの商品を買う時の消費者側に与える品質判定の基準のようなものとしても作用し始めた。専門医と標榜できるようになったのは02年からだが、「○○学会認定専門医」という標榜があちこちでみられるようになってきた。実際、研鑽を積み、腕が確かならそのメリットを患者は享受できるが、ラッピングだけが豪華で実質が伴わなければ医療としては無意味である。


●医師の大都市集中に拍車


 新専門医制度は、簡単にいえば「専門医」の認定に、共通基盤を作り、研修プログラムの吟味、認定システムを機構が行うことにしたということだ。基本領域19領域を設定し、さらに細かな専門性を認めるサブスペシャリティ領域(29領域)について評価・認定業務を機構が行う。機構は「中立的な第三者機関」と表現されている。「専門」を2階建てにし、基本領域をマスターすれば、サブスペシャリティに進めると理解できる。


 この専門医の養成は、大学病院などの基幹病院と、地域の協力病院が、育成病院群を作って行うとされている。認定は経験症例数などの活動実績が要件で、更新時にもその領域における活動実績が要件となるとしている。


 ここまでくると、課題がクリアに見え始める。最も危なっかしくみえるのは「経験症例数」だ。症例を多く、基準に満たすほど積み重ねるには、当該の症例に多く接する機会が必要だ。そのため、症例数を簡単に収集(この表現が妥当かどうかは別にして)できる地域に、専門医資格を取得したい人は集まることになる。これが「地域医療が混乱する」という、医療界の一部の危惧となって過熱した。


 04年に新医師臨床研修制度が実施されたとき、大学を卒業し医師国家試験に合格した研修医は自由に研修先医療機関を選べるようになった。結果、多くの研修医が大都市を中心に高度医療機関が集まる地域に集中、従来の医局システムが崩壊して、地域医療に大きな混乱を招いたことがある。今回も、症例数を集めやすい地域に専門医取得を目指す医師が集まることは当然の懸念であり、こうした論議が疎かにされたまま機構の歩みが進むことにストップをかけた日本医師会などの姿勢は、ごく自然である。


 こうした地域医療の確保という観点からだけでも、影響は大きく、結果的に問題が内包されているが、この新専門医制度には課題や、今後の医療制度そのものを変えてしまうかもしれない、つまり患者のフリーアクセスが障害されるような懸念も残る。また、機構という組織がどのような権限を持つのか、また医師会が行政などとの距離をどうとるのかという課題まで見えてくる。


●プロフェッショナル・オートノミーとは何か


 将来的に最も医療制度の根幹にまで影響が出てくると観測できるのは基本領域の19番目に位置づけられた「総合診療医」だ。プライマリの現場で多様な疾患を総合的に診る総合診療医の専門性評価は、医療の効率性などの観点からは非常に素晴らしい制度導入のようにみえるし、地域医療の本来のあり方に沿うようにも思える。実際、最近の若い医師は総合診療医を目指す人が増えているといわれ、特にメディアがこうした医師を評価する状況があることもニーズとしての存在感が大きいということである。


 しかし、「総合診療医」は専門医資格にはなっても、サブスペシャリティを取得する道筋は、現状では示されていない。つまり、プライマリはできるが、それ以外に「専門医」らしい専門医資格はとれない。そうすると総合診療医は、米国のようなGPとしての社会的評価にとどまる懸念がある。GPが一定の存在となったとき、医療制度はどうなるかには強い関心を持つべきであろう。


 そのほかにも、機構は本当に第三者中立機関なのかどうか、そうあり続けられるのか。国との関係、制度論議での存在感はどうか。また、大学病院の機能が期待されるなかで、医局システムへの復活につながらないのか。機構が設立されるときに掲げられた、プロフェッショナル・オートノミーとは何か。評価・認定のプログラムには問題はないのか。


 この連載では、こうしたいくつかの課題につて、患者・市民目線で眺めていくことにしたい。(幸)