全国各地の児童施設に人気漫画の主人公からプレゼントが届く。この「タイガーマスク運動」の火付け役となった男性が昨年12月、「伊達直人の正体は私です」と名乗り出た。男性は「恵まれない子供たちへの支援をさらに広げたい」と話していたが、タイガーマスク運動には匿名ゆえの怖さがある。
しかしイスラム国(IS)を中心とする過激派組織によるテロが相次ぎ、その一方で差別的発言や排他的な主張を繰り返す怪物トランプが米国大統領に選ばれるなど世界が荒涼とするなか、人々の心を優しく包む善意が必要なのである。
■薄気味悪さや怖さ感じた「タイガーマスク運動」
6年前の2011年2月15日号の「医薬経済」のコラム・フロントラインに「『これこそ日本人の美徳』ともろ手を挙げて賛成し、喜んでばかりでよいのだろうか。私はタイガーマスク現象に、一種の薄気味悪さや怖ささえ感じてしまう」と書いた。
スクラップブックを開いてこのときの記事をおさらいしてみよう。記事には「タイガーマスク現象の発端はこうだった」とあり、「昨年のクリスマスの日、伊達直人を名乗る匿名の人物によって群馬県前橋市の児童相談所の玄関前に10個のランドセルが置かれた。そのニュースが報じられると、全国各地の児童相談所や児童養護施設にランドセルや文房具、お米、お菓子、現金などのプレゼントが次々と伊達直人の名前で届けられた」と述べ、さらに記事は「もう言うまでもないが、伊達直人とは、40年ほど前の人気漫画『タイガーマスク』の主人公だ。覆面レスラーの彼は自分の育った孤児院にファイトマネーを贈り続ける。なかには『あしたのジョー』の主人公『矢吹丈』などといった贈り主も現れた」と説明している。
そのうえで「伊達直人や矢吹丈を名乗ることで自分を漫画のヒーローと同一視でき、ある種のロマンに浸れるのだろう。匿名によって気恥ずかしさも薄れるのかもしれない」と感想を述べ、「だが、悪いことをしているわけではない。正々堂々と名乗るべきではないか」と主張した。
この主張の根拠のひとつとして「料理が入った保冷パックが贈られてきたけど、贈り主が分からないと子供たちに食べさせられない」という児童施設側の声を取り上げ、「子供たちが大好きなチョコレートやケーキに毒を入れて贈られてきたらたいへんな事件になる。やはりどこのだれだか分からない贈り物はどこか不安である。正体を明かさない匿名の行為はそんな怖さや薄気味悪さをはらんでいる」と指摘した。
この記事では「タイガーマスク運動」が良くないと書いているわけでない。「匿名に問題がある」と指摘しているのである。それゆえ今回、運動の火付け役となった43歳の男性が、昨年12月7日に後楽園ホール(東京都文京区)で行われたプロレスのイベントで本名や姿を公開し、「子供たちに顔が見える方が大事だと思った」と話したのは好ましいことである。公開がもう少し早ければ、もっと良かった。
それにしても昨年は理解し難い問題や事件は多かった。たとえば北九州市八幡東区のテーマパークでアイススケートリンクにサンマやカニなど魚介類計26種5000匹を氷漬けにした問題である。「生き物を冒瀆している」「倫理観がない」との批判を受け、昨年11月27日にアイススケート場の営業を一時中止した。
テーマパーク側は「海の上を滑る感覚を味わってもらいたい」と企画したというが、どう考えたってそんな感覚にはならないことは明白だ。多くの指摘や批判を受けて「不適切な企画で不愉快な思いをさせた」と陳謝したが、気持ちが悪いことぐらいすぐに分かるはずで、なぜ企画が持ち上がった段階で止めなかったのだろうか。とても不思議だ。
■生活空間の中で起きた社会的事件をしっかり捉えたい
作家の柳田邦男さんも毎日新聞のコラム「深呼吸」(昨年12月24日付)で「この1年、世界も日本も大変な変動期に入ったと感じている人は多い。だが、時代を見つめるにあたっては、巨大な政治的変動だけではなく、身近な生活空間の中で起きた社会的な事件についても、その根底にある問題をしっかり捉え、そこに映し出される社会のあり方への問いかけに対する答えを見いだす努力をすべきであろう」と語っている。その通りだと思う。
ちなみにこのコラムで柳田さんは相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」での殺傷事件や、福島からの避難生徒に対する学校でのいじめ問題を重視すべき社会的事件として挙げ、「偏見・差別が絡む」と指摘している。
ところで荒涼としたこの時代のなかで私たち報道に携わるマスメディアは、どうあるべきなのか。
昨年11月8日の米国大統領選挙では、既存の有力メディアの予測を完璧に覆し、「国境に壁を作る」など激しいが、分かりやすく訴えた共和党のドナルド・トランプ氏が勝利した。これまで新聞やテレビは候補者と有権者との間の伝達役を担ってきた。だがトランプ氏は新聞やテレビを敵視して直接、有権者に呼びかけた。それに使われたのが、大衆の好むツイッターやフェースブックに代表されるSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)だった。
昨年11月、大手IT企業のディー・エヌ・エー(DeNA)の医療系「まとめサイト」(役立つ情報をテーマごとに集めたサイト)が炎上の末、休止に追い込まれた。信憑性に欠ける根拠のない記事を数多く掲載していた。別の企業による医療系「まとめサイト」でも信憑性が問題となり、公開をとりやめる動きが出た。
DeNA側は「メディア事業をつくるうえでの著作権者への配慮や情報の質の担保などへの認識が甘かった」と反省しているようだが、情報を伝える仕事の基本はその情報の信憑性である。それを忘れると、受け手の信頼を失い、そのメディアの存在自体が危ぶまれることになる。最後のとりでとなる既存メディアの新聞やテレビのニュース報道は、信頼を失ってはならない。 (沙鷗一歩)