年末年始に満開に花を咲かせていた薬用植物がある。いくら温暖化が進んだとはいえ、日本の真冬に京都で開花する、には外気温は低すぎるのであって、実は温室の中で満開であったのである。筆者の管理する温室には主に熱帯から亜熱帯地域に生育する薬用植物が何種類か植栽してあるのだが、そのうちのひとつが今年は満開に花を咲かせたのである。
当該の薬用植物は葉や茎など地上部を丸ごと乾燥させて生薬として使用するのだが、においが強く、においの元となる精油成分を抽出して香水のブレンド材料としても汎用される。生薬名を藿香というが、一般の方々にはあまり馴染みがない生薬だと思われる。英語名のパチョリ、ならまだご存知の方もあるかもしれない。しかし、きっとそのにおいを嗅いでいただければ、多くの方々、とくに殿方には、どこかで嗅いだことがあるにおいだと思っていただけるのではないだろうか。
こう書くのは、パチョリのにおいが多くの男性用化粧品類の香料ベースとして使用されているからである。インターネットを通じては、見た目(視覚)と音(聴覚)とは伝達しやすいが、におい(嗅覚)はお伝えすることが難しいのが残念である。しかし、パチョリのにおいは昭和のお父さんのアフターシェーブとヘアトニックのにおいと書けば、少しはご想像いただけるだろうか。少なくとも、筆者の記憶にあるにおいでは、パチョリのにおいはこれらに含まれていたにおいである。
パチョリ(藿香)のにおいの最も特徴的な部分を構成しているのはパチョリアルコールという成分で、炭素が15個繋がって基本骨格を作るセスキテルペンという分類群の化合物である。セスキテルペン類の多くは常温常圧で揮発しやすく、抗菌活性を示すものが多いが、パチョリアルコールも然り、である。他にもパチョリの精油には、メチルチャビコールやオイゲノールなどの成分も含まれているが、これらはフェニルプロペン類で、セスキテルペン類とは生合成経路が異なると考えられている成分である。
植物に精油が蓄積される場合、シソやハッカのように、葉や茎の表面にある腺毛が精油分泌・蓄積用に変化した腺鱗に溜められる場合と、ミカンの皮やサンショウの葉茎のように、油室と呼ばれる精油蓄積用の細胞が組織中にできてそこに溜められる場合がある。パチョリはシソ科に分類される植物であるにもかかわらず、葉茎の表面には精油蓄積組織がなく、葉肉や茎の組織中に精油が蓄積される。このため、葉の表面を撫でただけではにおいは薄く、葉を潰してようやくはっきりとにおいを感じることができる。これは葉茎を利用するシソ科の生薬の中では少数派である。
パチョリの学名はPogostemon cablin Benthamであるが、このPogostemonという学名はヒゲオシベ属と和訳される。その名の通り、雄しべには非常に細かい毛が生えており、ぼうっとカビが生えているかのように見える。
最後に、植物分類に詳しい方のために書くと、当方には藿香の基原植物として紹介された2種類の植物が植栽されているのだが、両者はほぼ同じにおいがあって、外見もそっくりであるが、ひとつは表面にビロードのように細かい毛が生えているが、他方はてらっと光るほど毛が少ない。花は前者は1ヵ所に1個〜数個つくが、後者はコレウスのように1ヵ所に多数の花がつき、数が多い。花期も両者で若干ずれている。この記事で書いたのは、後者の光沢がある葉で花の数が多いものである。この両者がどのような関係であるのかは、目下、調査中である。
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伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969年大阪生まれ。京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けばずっと京都大学にいるが、研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれており、途上国から先進国まで海外経験は豊富。大学での教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多い。