先週と今週は年末年始ということで、各誌とも2週分を1冊の合併号にまとめている。年が明けてからの発売は、週刊新潮と現代、それにポスト。年末に出したのは文春、週刊朝日、サンデー毎日などである。


 一般論として言えば、正月やGW、お盆などの合併号は、いまひとつ面白くない。記事の分量は通常より多くなるが、そもそも編集部が休むために前倒しでつくる号だから、活きの良さはどうしても失われる。


 それでも新潮は『さらば「SMAP」大晦日の叛逆』と題し、SMAPが解散した大晦日に、キムタクを除く4人のほか、結成時のメンバーだった森旦行を加えて忘年会が開かれたこと、あるいは紅白歌合戦について、台本と照らし合わせた(この紅白の台本というものは、はたして報道陣に配られるものなのか? それとも新潮の独自入手なのか、記事の文面ではわかりにくい)本番のドタバタぶりを嗤う記事『紅組勝利にカラクリがある!「紅白歌合戦」全舞台裏』を載せるなど、“旬な話題”を盛り込んでいる。


 先週の文春も、ジャニーズ嵐・松本潤の密会報道やユニクロ潜入の続報、タレント安田美沙子の夫の不倫スクープなどを載せ、通常のクオリティを保っている。で、ポストと現代だが、どうやらこの2誌はもう、健康特集や老人の性、70年代アイドルの懐古など、高齢男性読者向けの企画路線に徹していくようで、世の中の動きに対応する「雑誌ジャーナリズム」からは、ほとんど降りてしまった観がある。


 その点で言えば、部数の上では「4大週刊誌」の後塵を拝しているものの、新聞社系の老舗、週刊朝日やサンデー毎日などのほうが、ニュースにこだわってまだ粘っている。月刊情報誌「FACTA」1月号によれば、それでも昨年上半期、大半の雑誌が部数を下げるなか、総合誌では文春と現代、ポストの3誌だけが部数を伸ばしたという。


 この傾向が、私にはどうも腑に落ちない。昨年のウェブサイト「WELQ」のコピペ問題に象徴されるように、ネットには無料だが、ろくすっぽ取材をせずつくられた真偽不明の記事が氾濫する。そんななか、何百円か払って買う雑誌には、手間暇とコストをかけた取材が期待されてもよさそうだが、スクープ連発の“文春砲”を除けば、必ずしも売上げと取材の労力に因果関係は見えないのだ。


 ただそれでも、最後に生き残るのは掘り下げた取材、クオリティ重視の記事作りだと私は信じたい。“気の利いた企画”(かどうかも私にはわからないが)で目先はしのげても、やはりカネを払ってものを読む人の総体は減る一方だろう。そして、これ以上は減らない“底を打った状態”で残るのは、ネット無料記事の“薄さ”に飽き足らない読者だけだと思う。その層をつかめない雑誌は、サバイバル競争から脱落するはずだ。


 手間暇とコストをかけて取材をし、記事を書く。ひと昔前まで総合週刊誌には、当たり前のようにその常識があったが、出版不況の中、相当に怪しくなってしまっている。あと何年かしてスタッフがさらに若返れば、“真っ当な記事作りのノウハウ”は多くの社で失われてしまうのでは、と危惧している(新聞社やテレビ局も同じだ)。


 現代やポストの動向もまだしばらく見守るつもりだが、今年は取材記事の載る雑誌にエールを送る意味を込め、週朝やサン毎など新聞社系、あるいは週刊の経済誌にも目配りをしていきたい。 


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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。