年末年始の合併号シーズンが過ぎ、各誌にまた活力が戻ってきた。そんな印象を受ける。発売日との関係でぼやけてしまったが、講談社編集者が妻を殺害した容疑で逮捕された事件は、週刊文春による幻の大スクープだった。
文春の発売日は11日。警視庁はその前日、連休明けの10日に朴鐘顕容疑者を逮捕して、その報道は横並びとなった。しかし文春編集部は遅くとも先週末には取材を終え、巻頭5ページもの「驚愕スクープ」として、満を持し『「進撃の巨人」元編集長の妻が怪死』という記事をまとめていたのだった(記者による容疑者直撃インタビューは7日土曜日のことだった)。
記事の本文には《警察の動きを察知した報道各社も(容疑者逮捕の)“Xデー”に向け準備を進めている》という一文があり、昨年から年明け逮捕の噂があったことに触れている。各社のピリピリした空気の中、警視庁が文春の動きを察知して、逮捕日をその発売日前日にした可能性も否めない。
12日発売の新潮は《敏腕編集者が1月10日、殺人容疑で逮捕された》として、締め切りギリギリに1ページの記事を突っ込んだ。同誌もこの事件にノーマークだったわけではない、と強調したかったのだろう。逮捕直前、朴容疑者に電話したことに記事で触れ、遅れをとった悔しさを滲ませている。
日テレの凄腕記者・清水潔氏によれば、アメリカのジャーナリズムの世界では、本当の意味で価値あるスクープと区別して、いずれ発表される出来事を先んじて報じることを「エゴスクープ」と呼び、両者は峻別されるそうである。日本のマスコミの“サツ回り”たちは、それでも日々、この“抜いた抜かれた”の競争に血道をあげている。
今回改めて驚くのは、記者クラブに加盟しない文春や新潮の記者たちが、その競争に食い下がり、割って入っていることだ。警視庁や検察庁の閉鎖性は、ほかの官庁とは比べものにならない。捜査情報はもちろん、犯罪一般への些末な問い合わせさえ、クラブ加盟社以外には、木で鼻を括ったような対応しかしない。ほぼ取材拒否、と考えていい。
にもかかわらず、一部の雑誌記者はそこに挑む。私自身は細かいノウハウを知るわけではないが、常日頃、捜査員やクラブ記者に人脈を築く努力のほか、やはり現場や関係者への“足で稼ぐ取材”を徹底する以外、方法はないだろう。「エゴスクープ」とはいえ、圧倒的不利な状況で闘う“クラブ非加盟の面々”には、やはり畏敬の念を覚える。
もうひとつ、今回の事件に思うことがある。それはメディア的にこのケースが“売れる事件”だということだ。とても嫌な言い方になってしまうが、雑誌の主たる購読者層には、高学歴だったりホワイトカラーだったりする人が多い。彼らが強く反応するのは、どうしても彼らと重なり合う世界での事件なのである。かけ離れた境遇の人々の話を、残念ながら人はあまり知りたいとは思わない。
たとえば富裕層の母親の間でのお受験殺人、たとえば一流企業社員が殺された東電OLの事件、そういったカテゴリーと同種の“売れる匂い”が今回はする。事件の内容そのものより、どんな階層で起きた事件なのか。本当に嫌らしい話になってしまうのだが、身も蓋もない言い方をすれば、だからこそ今回の事件に、記者は色めき立つのである。
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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。