うつ病など精神疾患の取材をしていると、しばしば耳にするのが「森田療法」だ。記事で取り上げたことがないため詳しく調べたことはないが、長年、気になる存在ではあった。このたび、森田療法やその創始者である森田正馬(もりたまさたけ)を記した『神経症の時代』が文春学藝ライブラリーに入ったというので、手に取ってみた。


 神経症とは、現在はあまり用いられなくなった病名だが、「精神障害/疾患の診断・統計マニュアル」(DSM)では、パニック障害、気分変調性障害など、多くは○○障害という名で細分化されている。


 知人によれば、1996年に単行本として発売された本書は、「心理系の学問をやっている人の多くが手に取る一冊」だという。巻末の「解説」によれば、10万部も売れたようだ(にもかかわらず、読んでいなかったことを反省)。


 もっとも、本書に〈豊饒な正馬の思想が応分の評価を受けてきたとはとうていいえない。ましてや正馬の存命中は、ほとんど無視され続けたといっても過言ではない〉とあるように、これまで取材した多くの専門家と呼ばれる人たちも森田療法について、微妙な評価をしていた印象だ(それも、これまで記事化しなかった理由のひとつかもしれない)。


■官尊民卑の医療界


 森田療法の核心ともいえる「臥褥療法」(がじょくりょうほう:食事や排泄といった基本的なもの以外は外界から遮断された部屋で、絶対安静の状態を守らせる)や軽作業から重作業にうつる作業療法など、森田療法の詳細や森田療法が生まれた背景を知りたい方には、本書や他の解説書を読んでいただくとして、感心したのは第2章の〈正馬の人間観〉。


〈精神については、自分で思うように感じ、随意に意志を左右できるかのように考えがちである。ここに迷妄のそもそもの始まりがある〉〈幸福とは「吾人が自分自身の本性を認めてこれを礼賛し、ますますこれを発揮し、どこまでもこれを向上発展させていこうという心境」にほかならない〉〈人間の不幸とは何か。思想の矛盾と迷妄によって本性発揮が阻害されている状態である〉〈神経質の用心深く、細かいものによく気のつくことはこれを長所として、まずます発揮させる〉〈人間の生の欲望を充足させるものは仕事であり、心身機能の全的な発揚がこの仕事のなかでなされてきた〉……。


 神経症とまではいかくとも、現代社会を生きていく上で役立ちそうな森田正馬の考えが満載である。


 第3章の〈正馬の生涯〉からは、明治期の医大の雰囲気や「官尊民卑」の空気が感じられて、医療の歴史を知る読み物としても面白い一冊。と、締めくくろうとして、驚いたのは本書の著者のこと。


 著者は開発経済学やアジア経済の専門家としてよく知られた渡辺利夫氏。東南アジアの取材をしていたころに、著書を何冊も読んでいたのだが、あまりのジャンルの違いに同一人物だとは巻末を読むまで気がつかなかった。まさに博学多才。(鎌) 


<書籍データ>

神経症の時代

渡辺利夫著(文春学藝ライブラリー1140円+税)