フランスの大学に留学中だった筑波大の女子学生を殺害した容疑で、交際相手だったチリ人の男が国際指名手配された事件は、どうやらひと筋縄に解決へと向かう雰囲気ではなさそうだ。フランスとチリ、2国間の司法協力のシステムの問題か、あるいはフランス当局の捜査が不十分なのか、内実はわからないが、未だチリ当局に容疑者を拘束する動きはない。富裕層の子弟という容疑者は、家族の庇護のもとで自由に暮らしているらしい。


 この事件をチリにまで記者を派遣して取材しているのが週刊新潮だ。先週の第1報に続く今週の続報に、懐かしい名を見つけ、思わず読みふけってしまった。『日本一有名なチリ人女性に「筑波大生失踪事件」を訊く!「アニータ」が語った「チリの事情」と「14億横領夫の出所」』という記事がそれだ。


 この女性アニータ・アルバラードの名が日本で一躍有名になったのは16年前。青森県住宅供給公社に勤めていた日本人男性が、出稼ぎ風俗嬢だったアニータに熱を上げ、結婚に漕ぎつけたものの、その歓心をつなぎとめるために、職場で14億円もの横領を重ねて逮捕された事件だ。


 新婚直後から日本とチリで別居状態だった彼女は、夫の貢ぐカネでプール付きの豪邸を建て、若い愛人を養うなど、好き放題の暮らしをし、夫の逮捕もどこ吹く風。むしろスキャンダルを利用してチリで芸能活動をするなど、そのしたたかなキャラクターに日本でも注目が集まったものだった。


 当時、私は隣国ペルーに住むフリー記者として、何度もチリに行き、彼女の取材をした。彼女の“銭ゲバぶり”はすさまじく、インタビュー1回あたり、30万円、20万円という謝礼を要求した。もちろん日本の週刊誌がそんな金を出すはずもなく、当方は“とにかく会って何とかする”ということで、なだめすかしたり偶然を装ったりして、確か4回くらい単独インタビューを実現した。それでいて『南米最低の女』なんてタイトルの記事を書くのだから、彼女からはかなり嫌われたものだった。


 今回の記事によれば、現在のアニータは首都サンティアゴの低所得者地区でつつましく暮らしていて、彼女曰く「おバカな毒舌キャラ」の司会業で生活しているらしい。筑波大生の事件では、被害女性への同情を語り、チリの腐敗した国柄では、富裕層の刑事事件はうやむやにされがちなこと、チリの男は独占欲の強いエゴイストが多いことなどを語っていた。


 記事の文面から見る限り、その語り口に往時のギラついたところは消え、年齢相応に落ち着いた雰囲気で、好感がもてる。とくに昨年刑期を終え、出所した日本人の夫を案じる言葉には、しんみりとした情愛さえ感じさせる。


 彼女は一度、山形の刑務所に夫を面会し、以後年に1、2回、手紙を交わしてきたという。出所後は、世捨て人のように山奥で暮らす、と綴られていて、現在の夫の所在は不明だが、アニータはこの3月、10日ほど来日して彼を探し、できればチリに連れていきたいという。


 10年分以上の夫からの手紙と、日本への再訪──。何かちょっといい話のようで、久々に取材を、という思いもよぎったが、いやいやあのアニータがこんなネタを無料で提供するはずはない。南米の女は甘くない、とすぐ正気を取り戻した。どこかのワイドショーあたりとタイアップして来日するのだろう。その隙間を見つけ、なだめすかし懇願してのゲリラ的取材。あのゲンナリするプロセスを思い起こすと、ほんの一瞬だけ膨らんだ取材意欲は、たちどころに萎えて消え去った。 


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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。