今年に入って新聞紙面を一番にぎわしたのが、やはりアメリカの新大統領、トランプ氏の過激で傍若無人な発言だろう。そんなトランプ発言の陰で気になる記事も多かった。そのひとつが、「AIで日本を強く」というタイトルを付け、日経新聞が1月9日から断続的に計4回、連載したAI(人工知能)の社説である。


 この連載社説、現実的でとても分かりやすく、主張している内容がごもっともである。ただし常に資本主義を重視して企業側にスタンスを置く、日経新聞のいやらしさがそのまま出ている。AIの台頭について倫理的側面からもう少し突っ込んで書かれていれば、もっと幅が広がって説得力があったと思うのだが…。



■日経社説のAI賛美に大きな落とし穴が潜む


 問題の日経新聞の社説の第1回目(1月9日付)は「産業競争力を高める好機生かせ」という見出しを付け、「囲碁のAIがプロ棋士を破った出来事は、ほんの一例にすぎない。AIの影響は今後、あらゆる産業に広く、深く及んでいく」と書き出し、「イノベーションによる経済成長を求められる日本は、市場や雇用の創出にAIを生かす戦略を描き、行動に移すときだ」と主張する。


 そのうえで「世界のAI関連市場は2025年に318兆円と、10年で30倍以上に膨らむ。サービスやソフト、ロボットなどを通じ、交通や物流、小売り、医療といった幅広い業種で構造変化が進む。人手不足や少子高齢化に直面する日本も、AIをテコに産業競争力を高める必要がある」と訴える。


 さらに第2回目(1月10日付)では、「AIの普及は新しいビジネスモデルやサービスを生み出すチャンスを広げる。半面、技術力を武器にした新たなライバルが急速に台頭する可能性も高まる。激しさを増す競争を戦えるよう、企業は組織をつくりかえなくてはならない」と強調する。


 どの記述も「なるほど」と思わせるのだが、そこに大きな落とし穴が潜んでる。


 たとえば1月17日付の第四回目の社説。人の仕事が次々とAIに奪われるというAI脅威論を払拭するために「人は機械にどう向き合うのか、人の知性や尊厳とは何かといった、根本に立ち返った教育を若い世代から始めるべきだ」と主張し、「20世紀半ば、SF作家アイザック・アシモフはロボット開発の原則として①人に危害を加えない②人の命令に従う③ロボットが自身を破壊しない-の3つを唱えた。根底にあるのは技術は人が使えるものという人間本位の思想だ」と述べている。


 日本がAIに優れた国になり、産業的に優位に立つことが最も重要なことではない。人がAIを使ううえでの倫理を養い、人間本位の思想失わないことである。日経新聞の社説はこのことを最後に触れてはいるが、突っ込みが足りない。

■人間の意識まで支配されたらおしまいだ

 チェスより複雑な囲碁の世界でAIが世界のトップ棋士に勝てるようになったは、人間の脳の神経回路を模したAIの機能、つまりAIが自ら学習しながら進化していく「深層学習(ディープラーニング)」の急速な進歩によるところが大きい。この機能がさらに進化しながら他のテクノロジーと融合していくと、車の自動運転などのように用途が限定された「特化型」AIから人間の知性のようにさまざまな場面で応用可能な「汎用人工知能」が生まれる。


 アメリカの発明家のレイ・カーツワイルによると、2045年には、AIがすべての分野において人類の能力を超えるシンギュラリティ(技術的特異点)がやってくるという。その結果、イギリスの宇宙物理学者のホーキング博士が警笛を鳴らすようにAIの使い方を誤ると、人類の滅亡につながる危険性がある。


 そもそも機械は人間の生活を豊にしようと、考案された。18世紀に起きた産業革命では蒸気で機関車や船を動かし、人や物を早く遠くに運ぶことができるようになり、生活は大幅に向上した。だがその半面、資本家と労働者の間に格差を生み、公害によって自然環境が破壊された。人間が機械によって疎外されるケースが出てきた。AIの登場は、産業革命以上に大きな悲劇をもたらす危険性がある。


 たとえば脳科学の進歩によって人の脳をAIで再現できれば、その人の意識や記憶をロボットに移すことが可能になり、人は肉体から切り離されバーチャルな存在になる。SFの小説や映画の架空の話ではない。すでに先進国では人間の意識をアバター(分身)のロボットに移すプロジェクトも進められている。


 それゆえ「人間の脳を操作していいのか」「AIをどのように人間の社会に役立たせ、どこで制限を加えるべきか」など倫理面の議論を時間がかかってもしっかりと行う必要がある。


 特化型のAIならまだ許されるかもしれないが、高度に進化した汎用人工知能によって人間の脳や生命が支配されるとなると、恐ろしい。


 AIに使われるのではなく、どう使うか。これをしっかり考えるときが来ている。 (沙鷗一歩)