今週の週刊文春には、『トランプを操るハゲタカGS6人衆強欲手口』という記事が載っている。GSはゴールドマン・サックスの略だ。発足してほどないトランプ政権には、財務長官など6人ものGS出身者が集まっているが、記事では元GSの日本人バンカー・神谷秀樹氏が、こうした面々に権力を握らせる危険性を語っている。


 彼らGS出身者はすでに、リーマンショック後に設けられた金融機関への諸規制を取り払おうと動き始めている。神谷氏は「格差はますます広がる。彼らには自国民はもちろん、日本の国民の権益を守ろうなどという意思はありません」と語っている。神谷氏はGSに在籍した当時、トランプ氏との商談でその人格に不信感を抱いた体験があり、大統領本人に関しても、その強欲さに警鐘を鳴らしている。


「外交においてトランプは、相手を打ち負かすことしか考えていない。彼が誇りたいのは『戦利品』の大きさで、他国のリーダーとの『信頼醸成』という考えは微塵もありません」


 そんななか、我らが安倍首相はアメリカへと旅立ち、トランプ大統領の別荘で胸襟を開いてじっくりと“信頼醸成”の時を過ごすことになった。インフラ整備への投資などを手土産に、経済交渉で無理難題を控えてもらうよう、理解を求める、とされているが、その危うさはすでに、少なからぬ識者が指摘するところだ。


 国防長官の来日で確認されたという“日米同盟の紐帯”も果たしてどうなのか。中国に揺さぶりをかけるため、台湾問題まで持ち出してしまうトランプ氏である。中国の嫌がる日米同盟が強固になればなるほどに、取引(ディール)のカードとして値打ちは高くなるわけだが、肝心かなめの時、そのカードをあっさりと切り、自国だけ“欲しいもの”を手に入れてしまう、なんて展開もあり得るのではないか。


 同盟の重要性を互いに確認した、などという話でゆめゆめ油断せず、いつ何時、はしごを外されても慌てふためかぬよう、あらゆる可能性を想定して備えるべき相手のように思われてならない。


 今週は偶然にも、週刊ポストが石原慎太郎・元都知事と元国民新党代表の亀井静香氏、週刊朝日が二階俊博・自民党幹事長と菅義偉官房長官、サンデー毎日が志位和夫・共産党委員長と小沢一郎・自由党共同代表の組み合わせで、著名政治家同士の対談記事を載せている。


 が、正直な話、どれもあまり面白くはない。政府自民党幹部のふたりは、差し障りのない安倍政権の自画自賛をするだけだし、志位・小沢対談も、野党共闘の重要性を訴える代わり映えしない話だ。石原・亀井の“古老対談”に至っては、「『NO』と言える日本ふたたび」と、時代錯誤感満載のイケイケ対米強硬論を能天気に語っている。


 政治家のインタビューや対談は、当人たちの“話したくないこと”を語らせてなんぼ、のジャンルである。それには政治家とメディア、あるいは聞き手との力関係がものを言う。できることならば、そんなオファーは受けたくない。しかし、逃げた、と思われてしまっては、自分にマイナスになる。そんな状況下で渋々政治家に語らせる空間が理想的である。


 そう考えると、ジャーナリストとしての深みや節操という点では、今ひとつ疑問符がつきまとう部分もあったのだが、田原総一朗氏がその昔、サンデープロジェクトなどで作り出していた“聞き手が主導する空間”は、ある種奇跡的な“場”であったようにも思えてくる。失われて初めて、その価値に気づく。メディアやジャーナリズムの衰亡は、そんなところにも感じられる。

 
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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。