橙色の可愛らしいヒナゲシの花があちらこちらにポツポツと咲く時期になった。京都市内ではバス停の横の街路樹の根元や植え込みの隅に、こっそりいつのまにか育って花が開いて気づく、そんな感じである。桜の開花の具合とお天気と年度替わりのカレンダーの廻り具合のコンビネーションに気を取られて過ごすうちに、ヒナゲシはあっという間に発芽して大きくなって、桜が散ってようやくヒナゲシの橙色に目が留まる、具合ではなかろうか。播種した覚えはないのに、筆者の管理する薬用植物園にも毎年かなりの数のヒナゲシが咲いている。花期は短く、あっという間にタネを落として消えてしまう。タネでいる方が圧倒的に長い時間の植物だなあと思う。



播種していないのに雑草とともに生えてくるヒナゲシ


 ケシ粒ほど、という表現が示す通り、ケシのタネは極小粒でどこにでも紛れてしまいそうである。しかも、タネは土中で何年か(あるいは何年も?)生き延びることができるようで、播種していないのに植物が出現した、というのはタネの小ささに加えてこの生命力の為でもあるように思う。これはヒナゲシだけでなく、薬用のケシ、つまりアヘンが生産されるケシについても同様で、かつてアヘン採取のために大規模な商業栽培がされていた和歌山県や大阪府の南部地域では、最近でも列車の線路脇や河川敷にケシが生えているのが見つかったりする。


 では、アヘンが採取できる種類と思われるケシが生えているのを見つけたらどうすべきか、読者はご存知だろうか。麻薬またそれを製造できる原材料となるものや植物は取締りの対象で、ケシの仲間ではソムニフェルム種やアツミゲシ(=セティゲルム種)、ハカマオニゲシ等は植物そのものが規制対象である。つまり、その植物を所持していただけで法律違反となる。したがって、アヘンが採取できるケシを線路脇で見つけたからといって、自分でそれを引っこ抜いて処分してはいけない。自分では触らず、地域の保健所、または薬務課に通報する、というのが適切な対応である。警察に届ける、という手段を考える人が多いようだが、警察官であっても麻薬に関する免許を所持していなければ生えているだけのケシについては対処が難しく、麻薬取り扱いの免許を所持する担当者が確実に居るのは、多くの場合、都道府県の薬務課である。



(左)ヒナゲシの花 (右)ハカマオニゲシの花


 アヘンは医薬品であり、それを産するケシは薬用植物として研究対象になる場合もあるわけだが、いずれも規制対象であるので、研究対象としてこれらを取扱う際にも、また医薬品として取扱う際にも麻薬取扱に関する免許が必要である。薬剤師免許や医師免許の保持者であることの他に、麻薬を取り扱おうとする事業所には盗難に遭わないよう厳重に装備された専用の麻薬保管用金庫を備えていることや、取り扱い者本人が精神異常者でないことの診断書の提出など、幾つもの条件が満たされると麻薬に関する免許が交付される。免許は都道府県の薬務課が管轄しており、数年ごとに更新が必要である。筆者もケシをはじめ麻薬や大麻として規制される植物標本や生薬標本を取扱う可能性が高いことから、これらの保管場所を取り扱い事業所とする麻薬研究者免許と大麻研究者免許を所持している。これらの免許は年末が更新時期と決まっているので、診断書取得のために診療所に行ったり、更新手続きのために薬務課に出向いたりと、12月の後半は師走に輪をかけて忙しくなる。


 ケシという植物から書き起こしてきたので、アヘンを取扱う際の面倒な側面を先に書くことになってしまったが、ケシの乳液が空気酸化されて生じるアヘンは、多様なアヘンアルカロイドを含む最強の鎮痛薬である。多種類あるアヘンアルカロイドのうちのひとつがモルフィン(モルヒネ)である。モルフィンやその類縁体化合物(オピオイド)、またアヘン製剤類は、臨床現場でどうにも耐え難い痛みを抑える優れた医薬品として使用されているものであるが、乱用した場合の幻覚作用や中毒症状、また反社会勢力の資金源となっていることなどが大きく報道されるために、一般の方々のこれらに対するイメージはあまり前向きではないように思われる。しかし、末期がんの患者さんを苦痛から解放してくれる薬であり、死の病でなくてもひどい痛みには適切に使用されればとても有用な医薬品である。内服薬や注射剤だけでなく、湿布薬のような貼り薬タイプの製剤が広く使用されるようになって、またモルフィンだけでなく、少しずつ構造を変化させた類縁体化合物の製剤が選べるようになり、日本でもようやく使用量が増えてきたらしい。


 近代薬学的にはアヘンアルカロイドについて鎮痛作用がメインに語られることが多いが、古典をひもとくと、ヨーロッパや地中海沿岸部などでは、アヘンが乳幼児の夜泣きやいわゆる疳の虫に、つまり鎮静薬として汎用されていたらしい。赤ん坊が泣いている理由がわからない場合にも少量を口へ入れれば即効性がある魔法の薬であったに違いないだろう。最近でも、多動が問題となるADHD (Attention Deficit Hyperactivity Disorder) の対処療法薬としてオピオイドが使われている。


 これら医療用製剤の原材料となるオピオイド化合物はケシから精製されて供されているが、第二次世界大戦前は日本でもケシが広く栽培されて、アヘンが生産されていた。前述の通り、和歌山県と大阪府あたりがその多くを産出していたらしい。しかし、戦後、様々な理由で日本のケシ栽培とアヘン生産は廃れてしまい、現在ではその技術継承のため、また違法物品が見つかった時の鑑定作業に供するため等の限られた目的のために、研究センターなどで細々と試験栽培されているのみである。


 医薬品製造原料用には、外国産のケシが使われているが、それも、いわゆるケシ坊主に傷をつけて採取したアヘンを利用するのではなく、ケシの開花前の植物体を刈り取って乾燥させたものを抽出材料として利用している。ケシの植物体には全草にアヘンアルカロイドが含まれており、これを有機溶媒で抽出してアルカロイド画分をとり、これを精製していくのである。ケシ坊主に滲み出る乳液よりも茎葉に含まれるアヘンアルカロイドの濃度は非常に低く、甚だ効率が悪い方法であり、また専門的な精製作業が必要となるため、万が一盗まれても、そのまま利用できるアヘンよりも悪用されにくい、ということが青刈り植物を使う理由らしい。



ヒナゲシの蕾と花後のケシ坊主


 さて、ケシにも色々種類があって、アヘンアルカロイドを含まないPapaver属にはヒナゲシ以外にも園芸品種がいくつかあるらしい。大きく育てば、トゲトゲの鋸歯のある葉が茎を抱くようにつくなどの形態的特徴で規制種かどうかわかるかもしれないが、タネでは種類の見分けがつかないし、園芸品種のタネの中に1粒でもアヘンアルカロイド産生種のタネが混じっていて、それを知らずに播種して育ててしまったら、その時点で法律違反となってしまう。筆者は勧められてもケシの園芸品種は育てようとは思わないが、海外での現地調査の最中に、栽培あるいは野生のケシの仲間を見ることがある。



ハカマオニゲシの花と花後のケシ坊主(ハカマがあるのがよく見える)


 なかでも圧巻だったのは、イランの山中で見たペルシアンポピーとも呼ばれるハカマオニゲシである。そこは国が保護する原生地で、許可を得てイランの共同研究者と一緒に見学に訪れた。ちょうど花が満開の時期で、真っ赤な大きめの花があちらこちらにふわふわと咲く様子は浮世離れした雰囲気であったのを覚えている。ハカマオニゲシは、開花後のケシ坊主の付け根部分に、蕾を保護していた苞が落ちずに残るので、これを袴に見立ててハカマがついたオニゲシという名前がついたようである。アヘンアルカロイドを含む種であるが、モルフィンは含まれておらず、生合成経路的にモルフィンに至る中間体化合物であるとされるテバインを多く含む種である。



ハカマオニゲシが満開の斜面


 人類最強の鎮痛薬とも言われるアヘン。自由に研究できる環境があればもっと応用範囲が広がるような気がするが、乱用が生み出す不幸な事象が無くならない限りは実現は難しそうである。

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伊藤美千穂(いとうみちほ)  1969年大阪生まれ。京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けばずっと京都大学にいるが、研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれており、途上国から先進国まで海外経験は豊富。大学での教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多い。