あの時はたまたま長期出張に出ていた時期だったうえ、顔ぶれにさほど関心が持てなかったこともあり、昨夏の東京都知事選は不在者投票をせず、棄権してしまった。選挙結果は消去法でだいたい見えていたが、予想できたのはそこまで。いったいなぜ、小池ブームなるものに人々がここまで盛り上がるのか、その感覚は都民でありながら、未だにわからないままだ。


 ただ、ここに来て、石原慎太郎元知事との対決モードになってきたことには、野次馬として少々、のぞき見根性がわく。石原氏こそ、少し前までは“人気作家タブー”に守られた無敵のカリスマ政治家だったからだ。めちゃくちゃな暴言は数限りなくあったし、あのキャラクターからして都政運営でもいい加減なことは多々あったように推察されるのだが(こちらはあくまでもイメージ)、意地悪な保守メディアも氏の逆鱗に触れるようなことを書くことはほとんどなく、リベラルなメディアも批判には及び腰だった。


 ところがその“大衆人気の王様”を、小池知事は悪役としてリングに上げようとしている。強者に立ち向かう勇気、なんてことを言うつもりはない。逆である。石原氏にもはや往年のカリスマ性はない。むしろ往時の傲慢さゆえに、世論は冷淡に彼を見捨てるだろう。そんな状況を見極めたうえで、小池知事は石原氏を「勝てる相手」と踏んだのだ。的確に“潮目”を読む眼力・判断力、それこそが小池知事最大の武器のように思える。


 週刊文春は小池知事寄り、新潮は石原元知事寄りに立ち、そのスタンスは真っ向からぶつかっている。文春は『石原慎太郎都政「血税豪遊」全記録 日本のトランプ! 舛添とはケタ違い』、新潮は『「石原慎太郎」独占インタビュー70分!「小池百合子は総理の器にあらず」』である。


 今週の週刊現代は『「安倍はもう飽きた」国民の声が大きなうねりとなる 小池百合子を次の総理に』、週刊ポストも『絶好調!小池百合子都知事の愛犬の名は「ソーリ」』。新潮だけが“石原派”で、年配の読者層を意識した形だが、他の3誌は“勝ち馬”に乗ろうとする打算も透けて見える。


 記事の内容では、文春が改めて暴露した石原氏の公金濫用が、インパクトがあった。公費で利用したフランス料理店の飲食料金はたった4回で152万円、ガラパゴス諸島への10泊11日の“視察旅行”では、8人の随行者を従えて1440万円を費やした。そんな豪遊ぶりを読まされると、回転寿司云々で責め立てられ辞職した舛添前知事が哀れに思えてくる。石原氏の全盛期、そうした現実に“見て見ぬふり”を続けてきたメディアの“へたれぶり”にも、改めて苦々しさがわく。


 その意味で、現在、メディアが批判報道に二の足を踏む最大の存在が、安倍首相だ。文春と新潮は、首相夫人と親密な大阪の学校法人「森友学園」が国有地を近隣の10分の1という法外な安値で払い下げを受け、その場所に何と「安倍晋三記念小学校」を建てようとしていた、という朝日新聞のスクープを読売新聞や在京テレビ局が無視するなか、きちんと後追いで報じている。


 少なからぬメディアは将来、安倍首相が現在の石原氏のように権勢を失う“潮目”を感じたら、その時こそ、態度を一変して踏み込んだ批判もするに違いない。弱きをくじき、強きにへつらう、みっともない話である。小池─石原バトルで石原氏批判を展開する時には、過去、独力でそれをしなかった自分たちを多少でも恥じてほしい、そんな気持ちがわく所以である。


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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。