「喉元過ぎれば・・・」というが、被災への危機感が薄れてくるにつれ、備えはおろそかになりがちだ。ここ数年は、買い込んだまま放置しておく“非常食”ではなく、保存のきく日常食を少しずつ消費しながら入れ替える日常備蓄(ローリングストック)の活用が強調されている。家族の人数分の水と食料を、発災後3日間のサバイバル用に3食×3日間、さらにプラスで1日分、計12食を用意する。月に1日、備蓄食料を食べる日を決めて、消費した分を補充すれば、1年単位で全体を入れ替えられるといったやり方だ。 


◆瓶詰・缶詰開発の動機は兵食


 日常備蓄によく利用される食料の形態は、缶詰、レトルト食品、フリーズドライ食品、アルファ化米などだが、このうち、缶詰の原型はフランスで発明された瓶詰だった。発明者のニコラ・アペールは、1806年に数種類のびん詰を船に積み、赤道を横断し温度、湿度の変化する条件で壮大な輸送試験を行ったところ、船長や提督から極めて高い評価が得られた。海軍にとって最大の災禍であった壊血病防止に役立つために、塩蔵品に代わって食糧に採用されたという。


 当時はフランス革命後の共和制体制下で、総裁政府が周辺諸国に戦線を拡大していた。食物貯蔵は、塩蔵、薫製、酢漬けを中心としていたため味が悪いだけでなく腐敗も多かったが、ナポレオン・ボナパルトが栄養豊富で新鮮・美味の兵食を大量に確保することが兵士達の士気の維持、高揚に不可欠と考え、総裁政府に軍用食糧貯蔵法の研究を要求した。政府は兵食の長期貯蔵に関する研究委員会を設置し、公募を行った結果、採用されたのがアペールの貯蔵法だった。


 フランスの内務大臣は、アペールに賞金を授与するとともに研究成果を記した著書の提出を求めた。1810年6月に著書「全ての家庭への本 すなわち あらゆる食品を数年間保存する技術」が国内で出版された後、直ちにドイツ語、英語、スウェーデン語に翻訳された。すると同年8月には英国のピーター・デュランドがブリキ缶による食品の貯蔵法および蓋をする容器に関して特許を取得した。デュランドがこれを、ブリキの入れ物(Tin Canister)と命名したところ、短くCanと呼ばれるようになり、それを音訳したのが缶である。缶詰は1821年に米国にも伝わっており、1861年の南北戦争で需要が増えた。仏英米のいずれも兵食としての利便性が開発の動機だったといえる。 


兵食、宇宙食から日常食へ


 何らかの国家的プロジェクトが関わって開発されたという点は、他の食品形態も同じだ。


 レトルト食品やフリーズドライ食品は、米国陸軍の研究所(US Army Natick Lab)が1950年頃から開発と製品化に力を入れ、軍用食(ration)として活用されるようになった。1969年にはアポロ11号による月面探査の際に“Lunar-pack”として、牛肉、ポトフなど5品目のレトルト食品が積み込まれ、注目を集めた。米国の専門誌Modern Packageに掲載された同研究所の記事をみて応用を考えたのが日本の大塚食品で、1968年2月12日に世界初の市販用レトルトカレーとして「ボンカレー」を発売。ただし、当時の半透明パウチの賞味期限は冬場3か月、夏場2か月であったという。


 日本独特の技術であるアルファ化米の原型は「ほしいい」(乾飯、干飯、糒)だが、工業的な製造の歴史はやはり戦争と無縁ではなかった。1944(昭和19)年、軍から「炊かずに食べられるご飯」の実用化を求められた尾西食品と阪大産業科学研究所の二国二郎博士が開発に成功したものだ。


 自然災害であれ戦争であれ、食料の役割の第一は命をつなぐこと。次の段階で、緊張の中での安堵感や生きる意欲を与えるのが「おいしさ」だ。さまざまな選択肢がある今、サバイバルフーズの歴史に思いを馳せつつ、日常備蓄を定期的に見直す機会をつくってみようかと思う(玲)。