スタートが1年先送りとなり、18年4月から新専門医制度は始まる。しかし、ここにきても、この新専門医制度に対する風当たりの強さは止みそうにもない。批判や、制度に対する不審、不安は当該の医師だけにとどまらず、地域包括医療を設計しなければならない地方自治体関係者にも及び始めている。そうした動向は、最後に「まとめ」として提示したいが、同制度の今後については、まだ流動していると観察することが必要である。


 とくに、このところ、批判の矛先となる焦点が、厚生労働省の医系技官に向いている。医系技官への不信は新専門医制度だけにとどまらず、地域医療計画、包括ケア体制づくりの具体的課題が明瞭になるにつれて、いや増している感がある。この問題も、まとめで触れるなかで考えてみたい。


 なお、この連載は何度も繰り返すが、医療現場の外部にいる市民目線から、そのわかりにくさを見ていきたいというのが趣旨である。多少の誤解やバイアスがあるかもしれないことを改めて断っておく。


●医師を統制したい官僚機構?


 新専門医制度で医系技官が黒幕のように語られるのは、どうも同制度が「プロフェッショナルオートノミー(専門家による自律性)」に基づいて、中立的な第三者機関が運営するとされることに胡散臭さを嗅ぎ取っている関係者が多いことが要因だ。健保連大阪中央病院顧問の平岡諦氏は、14年5月号の大阪保険医雑誌に、「(新専門医制度の問題は)『中立的な第三者機関』が、実は厚労省の意向を受けた『現場の医師を統制するための官僚機構』だということです」と言い切っている。そのうえで、「天下り先にもなるでしょう。そして、それを隠すためにプロフェッショナルオートノミーという言葉が使われている」と述べている。


 また日本医師会の日本医師会の日医ニュース(16年9月5日付)に掲載された、松原謙二・日医副会長のインタビューでも、「(新専門医制度の)問題は、元々、医師のプロフェッショナルオートノミーをもって専門医の仕組みを改革し、国民に更なる安心を約束するための取り組みのはずでした」と語り、「制度設計の概要が公になって以来、医療現場や地方自治体等から、指導医を含む医師及び研修医が、都市部の大学病院など大規模な急性期医療機関に集中し、医師の地域偏在が更に拡大するという懸念が相次ぎ、このままでは地域医療の現場に大きな混乱をもたらすのではないかと危惧する声が強まっていました」と続けている。松原氏は“官僚機構”などという問題意識に言及するのは避けているが、その後のインタビューでは、専門医機構のガバナンスが問題視され、内部改革が必要だったと説明している。


 平岡氏はプロフェッショナルオートノミーという言葉が、官僚機構(天下り先)を新設する意図の隠れ蓑になっていると指摘し、松原氏はプロフェッショナルオートノミーをもって「改革する」ことが目的だったのに、内部改革が必要になった顛末に注意深く触れていることがわかる。むろん、両者は新専門医制度そのものに関するスタンスは大きく違うと思われるが、プロフェッショナルオートノミーという言葉と、批判が機構のガバナンスにあり、「内部改革」が必然となった点では、認識が同じなのではないかと類推できる。


●「徴医制」への懸念


 平岡氏によれば、新専門医制度を提言した厚労省の報告書では、プロフェッショナルオートノミーは、①新たな専門医の仕組みは、プロフェッショナルオートノミー(専門家による自律性)を基盤として、設計されるべきである②中立的な第三者機関は、医療の質の保証を目的として、プロフェッショナルオートノミーに基づき医師養成の仕組みをコントロールすることを使命とし……③専門医の認定や基準の作成はプロフェッショナルオートノミーを基盤として行うとともに……④新たな専門医の仕組みにおいて、プロフェッショナルオートノミーを基盤とし、地域の実情に応じて、研修病院群の設定や、専門医の養成プログラムの地域への配置のあり方などを工夫することが重要である⑤専門医のあり方については、新たな仕組みの導入以降、プロフェッショナルオートノミーを基盤としたうえで……——といった具合に頻出している。


 官僚機構を新たに作り出す隠れ蓑としての新専門医制度は、本質的に突き詰めれば、専門医機構が「中立的な第三者機関」を持つことである。平岡氏は、厚労省が法人化で独立した日本医学会を介して現場の医師の統制を強化するための機構であり、こうした統制機構は医師の応召義務を強化する「徴医制」につながる懸念も指摘している。むろん、医師の働き方の自由度は損なわれ、医師配置や診療報酬にも強い影響が生まれるのは自明のことになる。また、日本医学会が法人化によって独立性を確保したことが、日本医師会との調整機能を弱体化させたと類推することもできる。背景には、日医と医学会の反目も何となく想像できる。というより、医学会の日医離れを、官僚機構が策したと受け取れなくもない。


 こうしてみると、実は「中立的な第三者機関」の存在が、なぜ必要なのかという疑問にたどり着く。すでに日医という本来ならば「中立的な第三者機関」が存在するのであり、そこを活用することは当然のように思えるが、そうならないのは日医が「中立的機関」とみなされていないということの反証であるだろう。そのためにも、機構のガバナンスを日医が取り戻したからには、その反証を打ち消す必要も生まれているということになるかもしれない。その点では、松原氏のインタビューでの、「国民に更なる安心を約束するための取り組みのはずでした」というコメントからは今後の日医の姿勢を占う、意味深さを嗅ぎ取ることもできる。


●プロフェッショナルフリーダムではいけないか


 それにしても、プロフェッショナルオートノミーという言葉を使わなければ、新専門医制度は成立しないのだろうか。官僚が、意味不明な(国民には)言葉を操って、新たな制度を構築しようと図る時には、だいたいこうした手法を使うのは、国民にとって慣れっこかもしれないが、裏返すと、新制度について最初から国民に親切にわかりやすく説明しようという気がないようにも思える。


 日医が武見太郎会長時代から使っていた言葉に、プロフェッショナルフリーダムという言葉があるが、これは少し国民に誤解を与えている。この言葉は医師の自由裁量権というふうに理解されがちだが、むろんその意味も含めて、国家権力からも自由で自立した医師あるいは医師組織たらんとすることだと筆者は理解している。プロフェッショナルオートノミーは専門家による自律性ということになっているが、プロフェッショナルフリーダムには自律と自立の意味合いが感じ取れる。


 先述した平岡氏によれば、プロフェッショナルオートノミーにも自立の概念が含まれるとされる。カントの言葉から由来するらしいが、ここでは難しい語釈は避けるとして、プロフェッショナルオートノミーという言葉を使い、それをわざわざ「専門家による自律」と規定するところに、自律を強いることで統制をはかりたいという思惑を感じざるを得ない。


 やはり、期待すべきは「自立」も視野に入れた日医のプロフェッショナルフリーダムではないかと思える。自立した日医がめざすべきは、国家統制からやはり自由な立場にいて、国民の医療の質を守ることではないだろうか。その意味で、新専門医制度の基本的概念の底に、プロフェッショナルオートノミーを使うのには国民のひとりとして、説明不足であると考えるし、適切性に疑問がある。(幸)