メディアが政権批判をする。そんな当たり前のことが、とくにテレビ報道に関しては、本当に久々のことのように感じられる。大阪の森友学園をめぐる疑惑である。あの北朝鮮を想起させる運動会の光景など、国家主義もどきの異様な教育は前々から有名だったにもかかわらず、国有地売却をめぐる疑惑が出なければ、メディアには容易に手を出せないアンタッチャブルな領域であった。


 公金にまつわるスキャンダルとセットになればこそ、その教育の奇怪さについても言及が可能になる。論評が不自由な時代には、ファクトを掘り起こす報道がより重要な意味を持つことが、改めて示された格好になった。


 主要誌では、ポストを除く3誌がこの問題を取り上げた。文春は『安倍晋三記念小学校 国有地「8億円値引き」キーマン実名初告白 “口利き”したのは私です』、新潮は『森友学園「ドアホ理事長」と交わった「安倍昭恵」』、現代は『妻・昭恵の「暴走」で安倍「退場」の大ピンチ』というタイトルで特集記事を載せている。


 文春も新潮も“半身”で政権を叩き、返す刀で野党勢力にも嫌味を言い、“どっちもどっち”という雰囲気を醸し出すいつもの書き方はしていない。それだけ、今回のケースは擁護が難しいのだろう。


 ただ、関係者を実名で取り上げた文春の特集は、一見、一歩先んじた報道に見えるが、ある程度警戒感をもって眺めたほうがいいのかもしれない。口利きを名乗り出た人物が、事件の大きさから考えると、あまりに“小物感”を漂わせているからだ。


 事件当時はまだ30代半ば。日本会議系の人のつながりで安倍事務所に出入りするようになり、その後、故・鳩山邦夫元総務相の“事務所参与”という肩書きを得たという。自身の子が森友学園の幼稚園に通うこともあり、理事長の相談を受けたこの人物、鳩山事務所の肩書きで近畿財務局を訪ね、土地取得への協力を依頼した。


 記事によれば、この口利きは当人の独断による行動。鳩山氏の元秘書によれば、事務所の名刺は持たせていたものの、あくまで無給の立場だったという。そしてこの人物、「私の知る限り、安倍夫妻は取引に一切関与していません」という“証言”もしている。


 どう考えても、この程度の人物の力で、関係官庁があれほどの便宜を学園に払ったとは思えない。せいぜい「疑惑の末端にこんな人も存在した」というだけの話だ。もちろん文春も、疑惑の矮小化など考えていまいが、追及の手を緩めれば、そんな印象も与えかねない。


 新潮は同じ号で『「声」欄100周年でも「朝日新聞」がひた隠しにした戦時中の「声」』という特集を掲載した。戦時中、朝日は投書欄に、戦争礼賛の投書をたくさん載せていただろう、という話で、指摘はその通りだが、その手の話を朝日は、別に「ひた隠し」になどしていない。戦時中の紙面検証は過去何度も行っている。


 要は、新潮らしい「今さらまた?」という朝日叩きであり、うがった見方をすればこれ、森友学園記事で柄にもない“真っ当な政権批判”をした埋め合わせ、右派の固定読者に「こういう記事も載せてます」とアピールする“抱き合わせ記事”なのかもしれない。と書いてみて、こういうファクトに基づかない嫌味っぽい言い方、まるで週刊新潮みたいだな、と我ながら感じた。反省、反省である。 


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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。