現実の動きがあまりにも早く、ダイナミックすぎるため、週刊誌報道が追い付かない。森友学園疑惑のことである。先週の本欄では、籠池理事長による小学校認可申請取り下げによって〝幕引き〟となりそうな雲行きを案じたが、その直後に驚くべき〝どんでん返し〟が待っていた。


  追及される立場にいた籠池氏が一夜にして、すべてを暴露する姿勢になったことだ。16日には、安倍昭恵・首相夫人から夫名義で百万円の寄付を手渡されたことを野党議員団に公表、そしてついに23日、国会で証人喚問が行われることが決まった。


  保守の人は誰も助けに来てくれない──。籠池氏は幼稚園の終了式でそう語ったという。「しつこい人」「おかしな人」と突き放し、一斉に背を向けた首相以下、日本会議系〝同志たち〟の冷酷さが、〝窮鼠猫を噛む状況〟に氏を追い詰めた格好だ。


  似たようなケースで言えば、その昔、中曽根元首相が、巨額脱税事件に問われた旧友の経済人を切り捨て、自身への献金を否定した「殖産住宅事件」を思い起こす。服役したこの人物は後年、同級生だった中曽根氏への怨念を自著に綴っている。〝トカゲのしっぽ切り〟的なこの手の醜聞は、昔から多くの権力者に付きまとう。


  それにしても驚いたのは、ノンフィクションライター菅野完氏の鮮やかな手腕である。小学校設立断念の記者会見終了時までは、居並ぶ報道陣と同様、いやその中でも急先鋒の批判的記者として籠池ファミリーから敵視される存在だったのに、たった一日でその懐に飛び込み、ファミリーから全幅の信頼を得るまでの立場になったのだ。


  菅野氏のブログによれば、会見中、籠池氏の長男の視線に一種の親しみを感じ取り、会見後に接触を試みて成功。数時間、ひざ詰めで語り合い、信頼を勝ち得たのだという。ベストセラー『日本会議の研究』を執筆し、どの記者にも増して〝草の根保守運動〟に精通する菅野氏は、籠池氏長男にとって、敵ながら一目置く存在だったに違いない。だからこそ、本心を打ち明けるならこの人に、と思ったのだろう。


  取材記者が対象に食い込むには、相手に都合のいい記事を書き、べったりと〝癒着〟するケースが大半で、とくにそれは政治ジャーナリストに目立つ。しかし今回は正反対。最も敵対的な立場にいながらも、とことん事実関係を調べ尽くすスタンスを認められ、相手の懐に飛び込むことができたのだ。新聞やテレビの組織ジャーナリストは軒並み、たったひとりのフリーランサーにしてやられた形だ。


 というわけで、今週の各誌・森友報道は、現実の動きから大きく遅れてしまっている。政権は今後、籠池・菅野両氏の社会的信用を失墜させる個人攻撃を徹底するだろう。一部メディアはその一翼を担うに違いない。その昔、外務省機密漏洩事件の際、佐藤政権が毎日の西山記者を女性問題で潰したように、これはもう、権力の常套手段と言っていい。


  実際、菅野氏は過去、市民運動でのトラブルなどもあったらしく、皮肉にも左派週刊誌・週刊金曜日がそれを暴いている。だとしても、今回の仕事の鮮やかさは同業者なら、誰しも認めざるを得ないだろう。多少でもその手際に敬意を抱くなら、各社、同業者潰しに矛先を向けるようなマネはせず、今からでも彼の先を行くスクープで、プライドを見せてほしいものだと思う。


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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。