この週末は大きなニュースが立て込んだ。森友学園問題が日々拡大するところに、韓国では朴槿恵大統領が弾劾裁判で罷免され、かと思えば政府は南スーダンに派遣した自衛隊PKO部隊の撤退を突如として発表。もともと3・11の特集報道に枠を取られるタイミングで、これだけニュースが飛び込めば、新聞やテレビ報道は細切れになる。


 そのせいで、森友学園の小学校認可申請取り下げや理事長の辞任は扱いが小さくなり、政権を助ける格好になった。PKO撤退発表をあえて10日夕、理事長会見にぶつけたのは“森友隠し”が狙いだった、とまでネットではささやかれている。これほど重大な問題を、党利党略で扱うとは考えたくないが、方針がすでに決まっていたのなら、「あえてこの日に」ということは、あったかもしれない。


 政権がそこまで警戒してもおかしくない森友問題は、“あの人たち”、つまり日本会議周辺のいかがわしさを可視化した、という点で、確かにインパクトが大きい。理事長会見には息子も同席したが、その発言は父親と同様に、敵味方の極端な二元論や陰謀論的被害者意識が強烈で、もし小学校が認可されていたら、と考えると、教育勅語云々にも増して、あの親子のような世界観の子どもが量産される、という点で、恐ろしいことだったと思う。


 週刊現代は『メディアはなぜ、こんなに信用されないか』という特集を組んだ。安倍首相が昨年、トランプとの初会談の際、「私は朝日新聞に勝った」と述べ、トランプ大統領も「ニューヨークタイムスに勝った」と親指を立てたという産経新聞報道に触れながら、日米両国で、アンチ・メディアのリーダーが国民の支持を受けている、という話だ。


 メディア不信そのものの分析は「きれいごとの報道」「記者のエリート臭」などと、通り一遍の理由だけで、だからどうだ、という内容はない。紙媒体・有料といった弱みから、新聞や雑誌離れは進む一方だが、個人的には「ファクト無視」「信じたいことだけを信じる」というネット世代全般のリテラシーの壊滅は、少し前に“底を打った”ように感じている。WELQ問題に端を発するまとめサイトの見直しもそのひとつだ。


 最低限のことは調べ、裏を取り、そのうえで発信する。その根本的な部分だけは理解され始めた気がするのだ。印象論であり、間違っているかもしれないが、裏返して言えば、ネットデマの横行で感覚がおかしくなり、そんな当たり前のことさえ、合意がなくなってしまっていた。私自身は「ファクトはどうでもいい」という読者・視聴者を、メディアは相手にする必要はないと思っている。そこまでの迎合は、むしろ自分の首を絞める。


 森友関連では、2月27日夜、安倍首相が赤坂の中華料理屋に各社官邸クラブキャップを呼び、会食したことに、ポストや現代が触れている。内容はやはり森友問題の自己弁護が中心だったという。こうした懇談こそ、もはや断ち切るべき悪習だと思う。


 森友の疑惑本体では、文春や新潮も続報を放った。今回の動きで幕引きを許さず、次号でも各誌、さらなる追及を期待したい。「資料は処分したが、手続きは適正だった」と国会で強弁を続ける官僚たち。「そんなわけないだろう」と誰もが思う彼らをこそ、何とか突き崩してほしい。  


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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。