前回は新専門医制度における「総合診療専門医」がどのような構想下に置かれているかをみた。本質的に筆者の観測としては、基本診療域に置かれる総合診療専門医は、当面は主に地域基幹病院の勤務医が担うことになり、現在の地域医療の担い手であるかかりつけ医とは一線を画すことになりそうだとの流れをみた。「当面」としたのは、総合診療専門医が一定の認知を受けた段階で、それが現在のかかりつけ医のレベルに波及していくことが目論見としてあるのではないかということだ。


 総合診療専門医も制度下では「専門医」であり、それには更新制が適用されることになるだろう。何年かごとの更新を経ていくなかで、更新が継続すれば、かかりつけ医でかつ専門医である人々は地域のなかで一定の比率に高まっていき、それが常態化すれば、実質的にかかりつけ医、すなわち「開業医」にも更新制というハードルが課される可能性が高くなる。余計な観測まで付け加えれば、この更新制が保険医の更新制とイコールになる可能性が生まれてくる。実は、こうした流れを作ることが、新専門医制度の最大の目的ではないかと、筆者は勘繰っている。


●どうしても置きたいゲートキーパー


 根底にあるのは、旧厚生省時代から、行政が70年代末から構想してきた家庭医制度、英国のGP制度の導入である。この連載では、GP制度の導入がキーワードになることは何度も示してきたが、今回と次回はこの問題を焦点にしてみる。


 13年8月に出された社会保障制度国民会議報告書のなかには、医療改革についてこのような文言が記されている。


「医療改革は、提供側と利用者側が一体となって実現されるもの。『必要なときに必要な医療にアクセスできる』という意味でのフリーアクセスを守るためには、緩やかなゲートキーパー機能を備えた『かかりつけ医』の普及は必須」


 柔らかく、注意深い表現で、フリーアクセスの制限には至らないことを示しつつも、「緩やかなゲートキーパー」機能の必要を強調している。「緩やか」と「かかりつけ医」が現状の開業医を軸とした地域医療担当医を示すかのような印象が生まれるが、「ゲートキーパー」は利用者側(患者)にとって、自由な医療提供を受ける権利が阻害される可能性がゼロではないことを明確に示している。そして、この機能の「必須」が、新専門医制度における総合診療専門医の必要を促すという仕掛けに連絡する。むろん、こうした流れは、何も筆者だけの観測ではない。日本医師会をはじめ、かなりの地域開業医の新専門医制度に対する反発の最大の拠り所だからである。


●GPと皆保険


「ゲートキーパー」は英国のGP制度の最大の特徴だ。GPは「家庭医」と訳されることも多い。米国でのGPは開業医という意味合いが大きいが、医療技術力としては大病院で働く専門医よりランクは低い。収入も格差が大きい。そのため、米国のGPは治験の患者リクルートなどでの役割を担っていることも多い。米国では公的保険制度が「皆保険」にはなっていない。政権が代わって、オバマ前大統領がめざした皆保険制度の導入も風前の灯となっており、いわば米国ではGPの役割がシステム化される以前にあることで、英国とは意味が変わる。


 英国でのGPはまさにゲートキーパーで、地域の患者は家庭医の管理下に組み込まれ、最初の診断は家庭医を受診し、それから紹介を受けて専門医の下へ行く。GPは人頭払い方式という包括方式の報酬制度下にあり、一定の収入は保障される。患者、利用者サイドから見ると、家庭医がゲートキーパーになることによって、専門医へのフリーアクセスはできない。一般的な英国レポートで、虫垂炎の手術でも簡単にはいかないことがよく書かれていたりするが、管理側からいえばそうした事態は、GP制度がきちんと機能しているということになる。「英国の医療費は安い」というレポート(例えばマイケル・ムーアの映画「シッコ」でもそういうシーンがある)もあるが、ある意味、GP制度が医療費増高を食い止める防波堤の役割を果たしていると言ってもいい。


●日本のかかりつけ医は「専門医」の散らばり


 この英国のGP制度、あるいは家庭医という開業医の存在で低医療費を現実化する米国の仕組みに対して、それを教科書にしたいと考えてきたのが旧厚生省、現在の厚生労働省であり、最近は医療費政策の実質的な主導権を握る財務省、政府本体だ。社会保障制度改革国民会議報告書に、前述した文章がさらりと加えられるのは、そうした背景が大きく存在する。


 家庭医制度の導入論議は、日本国内に「プライマリケア」という言葉が上陸したときから本格化している。


 旧厚生省は78年度に「プライマリケア臨床研修指導医海外留学制度」を導入、79年から実施した。つまり米英におけるGPの制度導入と研修システムの研究を兼ねて、GP養成者の育成を目論んでいたわけだ。78年には日本プライマリケア学会が設立され、地域医療の担い手を一定の専門性を持つ職種として確立する動きが顕在化し、旧厚生省の海外留学制度がその後押しをしたことが窺われる。日本プライマリケア学会は、臓器専門の縦型医学専門医ではなく、総合的な医学演習を軸にした水平型専門医の育成を目的とするというようなことが当時言われていた。また、多職種協働といった、現在の包括ケア体制づくりにつながるような理念も示されていた。


 当時、日本の開業医は専門科目別に研修を積み、臨床経験を経てきた医師が開業していた。プライマリケア、総合診療専門医という概念がなかった頃であり、そうした体制下にあったわけだから当然といえば当然だが、そうした状況は現在も続いており、現状のかかりつけ医はいわば何らかの専門医の「散らばり」であるとも言える。


 医療関係者には、そうした専門医が地域に開業医として配置されていることが、日本の医療の長所だという意見も根強い。その医師たちがかかりつけ医として機能し、専門分野をネットワーク化すれば、すなわち地域は総合的な医療機能を果たし得るという主張だ。その先には、だから総合診療専門医を基本領域として位置づける必要はなく、各科の専門医がサブスペシャリティとして学べばいいという考え方につながる。


 日本の医師養成制度が、専門医養成を軸に進んできたなかで、そこからかかりつけ医(開業医)が輩出されてきた実情を考えると、そもそも米英のGPとは専門性の点で落差が大きいのであり、現在の開業医サイドの反発は頷ける。そこに投下された医師教育資本も彼我の差は現実的に存在する。ある意味、地域開業医の報酬が出来高払いで保障されているという実情は、米英とは基本的に構造が違うという点から議論を出発させなければ意味がないようにも思える。(幸)