シソのにおい、と言うと日本人の多くは同じにおい、魚料理のツマモノにしばしば登場する緑葉のそれのにおいを思い浮かべるようである。京都のしば漬けで使われるシソもすべてそのにおいである。このにおいは、ぺリルアルデヒドとℓ-リモネンという成分がおよそ5対3の割合で混じったにおいである。ぺリルアルデヒドもℓ-リモネンもモノテルペンと総称される、炭素10個で基本骨格が作られる揮発性の高い化合物で、水にはほとんど溶けない。シソでは地上部全体に非常にたくさんある腺鱗とよばれる、腺毛が変化した極小さな風船に精油が蓄積され、それがにおいのもととなるのだが、その成分である。


 日本人には馴染みがあって、比較的良いにおいに分類されることが多いこのシソのにおいは、レモンやシナモンのにおいほど世界的にはポピュラーではなく、例えば、少し前まではヨーロッパ人ではこのにおいが嫌いな人の方が多かったという印象がある。ただし、日本食(和食)が世界遺産に認定された近年では状況は変わっているかもしれない。


 筆者が知る限り、少なくとも30年近く前の普段の食卓にこのにおいのシソが登場していたのは、日本以外の国ではベトナムだけである。アジアの他の国、例えば中国や韓国、タイなどでもシソやエゴマの葉が食卓に上ることはあったが、そのにおいはぺリルアルデヒドを主成分とするタイプ(以下、ペリルアルデヒド型)以外のにおいであった。しかし、ベトナムでは田舎でも都会でも、シソは綺麗にペリルアルデヒド型のにおいだったのである。筆者にとってはちょっとした驚きだった。国土の海岸線が長く、米と魚をたくさん食べる食習慣に湿度が高い空気など、ベトナムと日本は生活環境に実は共通点が多いように思われるが、においに対する好みもそんな両国の類似性の高さからきているのではないだろうか、そんな風に考えている。



 シソのにおいとしていわゆる青じそのにおいを書いたが、シソには赤じそもある。では赤じそのにおいはどうなのかというと、赤じそはその色を着色目的に利用することが多いせいか、歴史的ににおいより色の良さや収量で選抜がかけられてきたようで、市販の赤じそのにおいは青じそよりバラバラで変異が多い。梅雨明け頃になると梅漬けに入れるための赤じその束が野菜売り場に並ぶが、それらのにおいは、つまもの野菜として並んでいる青じそのそれとはまったく違う場合が多く、また仕入れ先の農家が違うと葉のにおいも違うことがしばしばある。



 とはいえ、実はシソ・エゴマの類は葉の色に関係なく精油成分すなわち葉茎のにおいが決まるので、赤じそにも青じそにもにおいのバラエティーはたくさんある。なかには人間の鼻ではほとんど無臭に感じられるタイプもあり、これまでに知られているものだけで10種類を超える。なお、これらのにおいのタイプ(精油型という)は気まぐれに発現するのではなく、遺伝子によって制御されている。


 例えば、京都のしば漬けには赤しば漬けと青しば漬けがあって、赤しばは赤じそを使うわけだが、これのにおいはペリルアルデヒド型でなければいけない。このために、老舗の漬け物屋は赤しば専用赤じその畑を人里離れた山奥に確保していたりする。一般のご家庭でも経験された方があると思うが、シソのにおい、つまり精油成分は、採ったタネを播いて生えてきたシソが元のシソとは違うにおいのシソになっていることがしばしばあるのである。このため、色だけでなくにおいが特に重要なしば漬け用赤じそは、ほかのシソの花粉がかかって交雑して後代のにおいが変わらないように、奥まった隔離畑で代々自殖させているタネを採るのである。



 赤じそは梅干しの色付けにも使われる。シソの赤色は、アントシアニジンという化合物の色なのだが、この化合物は酸性溶液中の方がより赤く発色する。ウメの実を塩漬けして梅酢ができた時に、これに塩もみした赤じそを入れると一気に赤色が鮮やかになるのはこのためである。しば漬けと違い梅干しの場合は、特に梅の実のにおいを残したい場合はシソのにおいは邪魔になる。そこで、シソはなるべくにおいが薄くて色がよく出るものが選ばれるようになり、人間の鼻ではほとんどにおいが感じられない精油型、フェニルプロパノイド類であるエレミシンやミリスチシンといった化合物が主成分の精油型が多くなっているようである。


 シソ・エゴマの葉のにおいでもうひとつ思い浮かべていただくとしたら、韓国料理に登場する緑色でゴツいめのエゴマだろうか。近年は野菜売り場に陳列されているのを見かけることもある。見た目は青じその葉を平たく大きくしたような形だがにおいは異なっており、ペリラケトンと言う化合物が主成分である。韓国料理ではこのエゴマでいわゆる焼肉を包んで食べたり、エゴマの葉を醤油漬けにしてご飯に巻いて食べたりする。やはりにおいが重要なので、ペリラケトン型以外のエゴマは使われないようである。


 エゴマというと、日本の東北地方を中心に食されているタネの方のエゴマを思い浮かべられる方もあるだろう。アブラエとかジュウネンなどと称される場合もある。これらタネを使うエゴマもここで話題にしているエゴマと同じである。タネではなく、種子と書きたいところなのだが、シソ・エゴマのタネは植物学的には分果と称されるもので、2粒分で1つの種子に相当する単位になる感じである。そのため、敢えてタネと表現させていただいている。


 世界には、エゴマの葉は使わないがタネを食用にする習慣を持っている人たちもたくさん居て、筆者はかつてそれを調査したことがある。そこで栽培されているエゴマはタネを中心に選抜されているため、葉のにおい、つまり精油成分についてはばらばらで多くの精油型が含まれていた。次回はそんな話を書いてみようかと思っている。シソ・エゴマの話ばかりが続いて恐縮である。


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伊藤美千穂(いとうみちほ)  1969年大阪生まれ。京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けばずっと京都大学にいるが、研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれており、途上国から先進国まで海外経験は豊富。大学での教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多い。