前回は、日本の医師養成制度が、専門医養成を軸に進んできたなかで、そこからかかりつけ医(開業医)が輩出されてきた実情を考えると、そもそも米英のGPとは専門性の点で落差が大きいことを指摘した。医師養成の資源投入時点では、勤務医、開業医も同等であり、いわゆる英米型のGPとは本質面で落差が大きい。平たく言えば、医師資格取得までの道のりはまったく違わないのであり、逆に勤務医時代に専門医として培った職能に、開業してプライマリ・ケアの職能をプラスしたというのが、日本のプライマリ医の実相だ。


 以前に、開業医の収入は勤務医の7倍だという医業経営実態調査の結果が示されて物議を醸したことがあるが、現在の多くの開業医には勤務医の先輩という認識が強い。それだけに、現在の開業医サイドの総合診療専門医を軸とする新専門医制度に対する反発は頷けるものがある。確かに、立ち去り型サボタージュと言った言葉に示される、激務を嫌っての開業という状況が存在することは否定できないし、「見た目」の収入も開業医は大きい。


 しかし、あえてビジネスの観点からみると、開業そのものはリスクも大きい。施設を含めて親子での継承でなければ、新規の開業は大きな有利子負債がついて回ることになる。


 地域開業医の報酬が出来高払いで保障されているという実情は、医師としての技量評価、経営リスクを勘案して、前回もしてきたように、英米とは基本的に構造が違うという点から議論が出発しなければ意味がないのではないか。経営リスクに関連しては、現状では多くの開業医が院外処方を行っている。つまり医薬分業だ。金融機能も持つ医薬品を手放したことで、開業医の収入構造も変化している。今や調剤薬局に医薬品に伴う収益は移転した。利潤としてではなく、経営原資という捉え方をすれば、リスクは加速しているともいえる。


 資格取得までの道のりが勤務医と変わらない、つまり医師としての技量に関しては勤務医と同等であることを求められながら、英米のようなGPに変質を余儀なくされるとすれば、現在の開業医の新専門医制度に対する不審は理解できるのである。むろん、この指摘は極論にすぎない。新専門医制度で総合診療専門医が位置づけられることが、すなわち英米型のGPにまで評価体系が変わるということは現時点では意味していないし、医学教育自体の体系にまで論議が現状では波及していないのは、その担保だともいえる。


 しかし、それでも、総合診療専門医の制度化が、英米型のGPをめざしているという観測は消えない。それが、医療制度自体の変革につながる、もっと直截的にいえば、開業医の診療報酬の包括化、ことに人頭払い制度導入への一里塚という側面は消えない。


●86年から論議は始まった


 そもそも総合診療専門医については、過去、86年に当時の厚生省が家庭医の創設をめざした時から、その構想が出発したとみていい。それに先んじて、78年には臨床指導医留学制度が53年に作られ、米国で家庭医を学ばせている。こうした一連の流れから、家庭医、つまり現在の総合診療専門医の制度化は、厚生省の70年代終わりころからの宿題であることが理解できる。


 当時、こうした政策に応じる形でプライマリ・ケアという言葉が医療界で一定の存在感を持ち、学会、研究会などが生まれている。86年に家庭医をテーマにした検討会がスタートしたとき、日本医師会と厚生省は論議される言葉ひとつでもナーバスな対決を繰り返したと伝えられる。日医の警戒は、プライマリ・ケアという英米型医療用語の流入が、GP制度の導入、人頭払い方式の導入、保険者の権能強化につながるという危惧に発している。この警戒感は、今日の総合診療専門医制度にもつながり、機構のガバナンスに対する不信感という形で表面化した。


 80年代の厚生省の言い分は、プライマリ・ケアを担う医師が日本では専門化しすぎたために、医師同士の地域での連携がいわゆる病院を軸にした「縦型」になり、横を結ぶ役割を持つ「プライマリ・ケア医」が必要になったというものだったといわれている。これは推測にすぎないが、厚生省のこうした政策展開は、戦略的にプライマリ・ケアを定着、浸透させ、学会レベルにまでその存在を高めたことにあるようにみえる。一連の流れは、一部医師会関係者に言わせれば、「全部、厚生省が裏で絵を描いた」という表現になる。


 プライマリ・ケアの学際化に関しては、2010年に発足した日本プライマリ・ケア連合学会のホームページに詳細が示されている。引用してみる。


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 2010年4月1日社団法人日本プライマリ・ケア連合学会がスタートした。「連合」という単語が含まれているのは3つの学会が合併したからである。


 旧日本プライマリ・ケア学会は1978年に設立された。実地医家のための会が母体となり、「従来の医学が大学中心の医学であって必ずしも第一線の医療に役立っていないこと、社会に役立つ有用性のある学問が必要なこと、そして第一線の医療に携わっている医師たちが自分たちのデータを持ち寄って発表し合う学会が必要であること」を謳った。「医療のための学会」「病人と人間の安全のための学会」を強調した。どのような専門領域を持つ医師でも入会し、かつ医師ばかりでなく、歯科医師、薬剤師、看護職、介護職なども正式の会員となることができた。開業医が多く参画し、ここ数年は高齢者に対する多職種協働地域ケアを活動のテーマにしてきた。


 旧NPO法人日本家庭医療学会は1986年に家庭医療学研究会として発足した。「病んだ一人の人間を、その人の家庭を、そしてその背後にある地域を1個のまとまりあるものとして取り扱う、つまり人間と家庭と地域を統一体としてとらえる家庭医療を求めて、家庭医を養成し、より活発な研究組織を作ることをめざす」とした。臓器別専門医を縦型専門医とすると家庭医は水平型専門医をあらわしている。米国の家庭医療教師協会を範とし、若手家庭医の育成に重点を置いてきた。


 旧日本総合診療医学会は1993年に研究会として設立された。大学病院や臨床研修指定病院の総合診療部に属する医師が参加した。設立の目的は、「全国の総合診療部(科)を組織化して、総合診療とその研究分野および研究の方法論を確立させること」にあった。


 合併の目的は、国民や医療界に「総合医・家庭医の役割」の重要性を認識してもらうことである。国民にはかかりつけとして家庭医を持ち病院依存体質を是正するように啓発し、医療界ではプライマリ・ケア部分も医学研究の重要な対象であり、医学教育においてはその中心であることを強調していきたい。 


 2011年3月15日日本医学会加盟が認められた。(以下略)


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 オウム返しにこの引用を解説する必要はないが、やはり、米国型の家庭医が基本となっていることが濃厚に理解できる。こうした学会の基本構造を肯定しまま、学会主導の機構が作られた経緯が、一部医療関係者の警戒感を強めたのは当然のようにみえる。医学会と日本医師会の対立も見え始めている。「厚生省が裏で絵を描いている」という憶測が、リアルに感じられるのは、このプライマリ・ケア関連の学会の動向でも見えるからである。その意味で、総合診療専門医の制度化は、実は相当に政治的な戦略が背景にあるということを念頭に入れなければならないということであろう。次回は最終回として、新専門医制度全体の課題を整理してみる。(幸)