ウメの季節が終わるとアンズが咲き始める。ウメ、アンズ、サクラ、は薬用植物園の春の移ろいを華やかに表現してくれる御三家とも言える植物である。中でもアンズは枝にへばりつくように多数の花がつくので、開花し始めるとよく目立つ。花の色は薄桃色がほとんどで、においはウメに比べるととても薄いが、メジロやヒヨドリなど小鳥たちが喜んでつつきにくるので、日毎に力強く長くなる日光とともに春らしさを実感する花木である。


             

 アンズは杏林という言葉とともに医学に関係が深い故事がある。このため、杏林を冠した製薬会社や大学の名称があったりする。その故事とは、董奉という古代中国の医者についてのものである。董奉は優れた医者で患者をよく治療したが、その治療代として金品を要求せず、代わりにアンズの木を植えさせたのだという。董奉は多くの患者を治療したのでアンズの木が増え、やがてそれらが大きくなり、果実が採れるようになると、董奉は今度はアンズの果実と穀物を交換し、その穀物を貧困者の救済に用いた、というものである。


            

 古代中国の話であるから、当然、董奉が患者の治療に用いていたのは生薬類であったはずだが、杏林の故事にみるアンズは生薬としてのアンズではなく、患者のことを想う医師の心の象徴としての存在であろう。

 生薬としてのアンズはその実の中にあるいわゆる硬いタネ(核)のそのまた中の種子にあたる部分を使う。平たく言えば、アーモンドの可食部である。これを杏仁(キョウニン)という生薬にする。呼吸中枢に抑制的に作用する青酸配糖体に分類されるアミグダリンやプルナシン、マンデロニトリルなどが含まれており、漢方処方中では咳止めの効果を期待して使われることが多い。


 杏仁に含まれる青酸配糖体の量は品種によって多少があり、多く含まれると味が苦くなる。そこで、苦くて薬として使えるものを苦杏仁(クキョウニン)、苦味がほとんどなく食用にできるものを甜杏仁(テンキョウニン)として区別している。この甜杏仁は、実はおなじみの杏仁豆腐の香りづけに使われるものである。


           

 しかしながら、青酸配糖体は酵素や酸などで分解されると容易に青酸ガス(HCN)を遊離することから、取り扱いを間違えると健康被害や事故につながる可能性がある化合物であり、摂取量に注意が必要である。このため、苦杏仁は行政的にも専ら医薬品成分本質、つまり、医薬品以外の用途は許可されない素材に分類されている。


 杏仁は見かけ上は桃仁とそっくりである。桃仁はいわゆるモモの仲間のタネの中身であり、化学成分的には杏仁と非常に類似している。しかしながら、杏仁は主に咳止めの効果を期待されるのに対し、桃仁は漢方的には駆瘀血薬としての役割を期待される生薬であり、同じではない。桃の花は、旧暦では桃の節句に開花したのかもしれないが、現代の太陽暦では桃の節句、弥生三日にはまだまだ蕾も目立たないくらいの状態で、開花はまだまだ先の話である。


 寒さが遅くまで残る年はアンズの開花とサクラ、モモの開花が短期間に集中する。今年はどうやらそんな年になるか、という気温である。桜の花見の前にアンズのお花見を楽しんでみられるのも一興、かもしれない。

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伊藤美千穂(いとうみちほ)  1969年大阪生まれ。京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けばずっと京都大学にいるが、研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれており、途上国から先進国まで海外経験は豊富。大学での教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多い。