今週は週刊新潮の『好色は「元官房長官」の父譲りだった「中川俊直」代議士 ハワイの「重婚」写真で一発辞任! 「ストーカー登録」された経産省バカ政務官!!』がダントツにインパクトある記事だった。それにしても、一昨年、未成年男性買春事件で自民党を離党した武藤貴也議員といい、ゲス不倫騒動で昨年、注目を浴びた宮崎謙介議員といい、与党陣笠議員の醜聞は驚くほど下劣なケースが増えたものである。若手ばかりでなく、“パンツ大臣”と呼ばれた高木毅という御仁もいた。  こうした風潮は、小選挙区制のもたらした弊害のひとつだと思う。所属政党に「風」が吹けば、有象無象の“なんとかチルドレン”が棚ぼたで大量当選する。中選挙区時代、陣笠の若手は脆弱な後援会組織を固めるため、週末ごとに地元回りに忙殺され、その負担で政策の勉強ができない、とこぼしていたものだった。何のことはない、保守同士競い合う負担から解放された途端、暇を持て余した彼らは遊び呆け、政治ならぬ“性事”の探求にいそしむようになっただけだった。  週刊文春は、『安倍夫妻「腹心の友」加計学園に流れた血税440億円! 昭恵夫人の紹介で籠池氏も二度視察した“学園ビジネス”』という記事を放ち、週刊現代が先々週、先週と取り上げた問題をさらに深堀りした。急速に尻すぼみになりつつある森友問題の関連報道をしつこく続けてゆく構えは、なかなか頼もしく映る。  文春に関しては先月、編集部がまとめた『文春砲 スクープはいかにして生まれるのか?』という新書と、新谷学編集長の著書『「週刊文春」編集長の仕事術』が刊行されている。いずれも社外から持ち込まれた企画らしく、前者は角川、後者はダイヤモンド社が版元だ。さすがに自社刊行物として出すのは“自画自賛”めいて当事者たちも面映ゆいのだろう。  過去2年ほど、萎縮傾向が露わだった朝日新聞も民報各局も、森友問題と共謀罪をきっかけに政権批判の構えを取り戻しつつあるが、それまでは全メディアの中で文春の孤軍奮闘が続いていた。そんな立場にいる責任を自覚してのことか、昨年の甘利経産大臣の口利き疑惑追及あたりから、本来保守の立場にある文春も、政権と一定の距離を取り、是々非々になってきた様子がうかがえる。  ネットによる拡散作用で紙媒体の影響力が部数の多寡と切り離されるようになり、もはや既存メディアでは“逆張りの少数意見”と斜に構え、責任を負わずに暴論を撒き散らすことは難しくなり始めている。建前だけの「正論」の気持ち悪さゆえに、多少言いがかりめいた主張でも言いたいことを言う。かつての週刊誌は、そんなスタンスでゲリラジャーナリズムを自称したりしたが、今やちょっとした誹謗記事が瞬く間にネットリンチにまでつながる時代になり、さすがにあたり構わず “逆張りの自由”を言い募ることは難しくなり始めている。  つまり、かつての文春や新潮は、ある意味朝日新聞やNHK的な建前の存在に依存して、ひねくれた切り口を売りにした面もあったが、リベラルな建前がこれほどまで脆弱になった現状では、「自分たちは補完的な傍流」という責任回避は通用しなくなり、各媒体がそれぞれ独立してバランスある報道を求められる状況になったのだ。その兆しはまだ、薄らと感じられるだけだが、言論をめぐる現実がここまで混乱する中で、個人的にはようやく現れた一筋の光明のように受け止めている。 ……………………………………………………………… 三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。