リスクが全くないのに保険に入ろうとする人はどこにもいない。例えば、運転免許を持っていない人に自動車保険は不要だし、海外に行かない人が旅行保険に入る必然性はどこにもない。それにもかかわらず、こうした人に保険加入を盛んに薦めたとすれば、その営業スタッフはロクな成績を上げられないだろう。


 しかし、自民党では今、こんなことが大真面目に議論されている。自民党の若手議員が提唱する「こども保険」のことである。しかも国家による強制力を通じて、国民を保険に強制加入させ、保険料を徴収しようとしているのだ。ここでは社会保険の原則に立ち、こども保険の発想がいかに間違っているか考察したい。


◇社会保険方式の原則


 最初に、こども保険についての議論をおさらいしよう。これを提唱しているのは自民党の若手・中堅で構成する「人生100年時代の制度設計特命委員会」。その案によると、現役世代と企業(保険料は折半)が負担し、第1段階として厚生年金や国民年金の保険料率を0.1%引き上げ、それを原資に就学前乳幼児を持つ家庭に給付する児童手当を5,000円引き上げるとしている。さらに、第2段階では保険料率を0.5%引き上げ、児童手当を25,000円引き上げることを通じて、幼児教育と保育の実質無料化を達成するとしている。財源規模としては、第1段階で3,400億円、第2段階で1.7兆円と予想されている。  一見すると、子育ての「社会化」は介護保険と共通点があるし、現役世代を対象とした社会保障制度が充実する点でも前向きに映る。


 しかし、この構想は大きな問題をはらんでいる。やや遠回りになるかもしれないが、その是非を論じる上では、社会保険方式の原則を踏まえる必要がある。


 一般的に社会保障制度には、保険料を主な財源とする「社会保険方式」と、税金で賄われる「税方式(社会扶助方式)」の2種類がある。このうち、社会保険方式の財政運営に関する考え方は原則として民間保険と変わらない。


 もう少し民間保険と社会保険を比較することで、両者の共通点と違いを浮き彫りにさせよう。民間保険の場合、個別に起きるリスクを被保険者の全体でカバーしている。例えば、火災や自動車事故など不測の事態が起きる確率は個々のケースでは予想できないが、この対象を拡大すれば、リスクが起きる確率は本来の確率に近付く。コインを1回しか投げなければ裏または表が出る確率は偶然に左右されるが、これを何度も繰り返すと、表と裏の確率が2分の1に近づくのと同じである。これを「大数の法則」と呼び、民間保険、社会保険に共通している考え方である。


 さらに、保険料を払わないと給付を受けられない点も民間保険、社会保険と共通している。例えば、民間保険では保険料を払わなければ保険給付を受けられないのと同様、公的医療保険では一定期間以上、保険料を滞納すると、保険診療から排除される。これに対し、税金で賄われている生活保護の場合、税金を支払っていなくても給付対象となる。言い換えると、負担に対する見合いとしての給付を伴わないと、社会保険方式は採用されない。これを一般的に「反対給付」と呼ぶ。


 しかし、民間保険では加入するかどうか任意で個人が決められるのに対し、社会保険では所得の高い人やリスクの低い人も含めて、国民に対して保険加入を強制させている。このことを通じて、保険財政を安定化させるだけでなく、社会保障としての給付を広く行き渡らせている。


◇子育てはリスクか?


 こうした特徴を持つ社会保険方式は5つの分野で採用されている【表】。例えば、医療保険であれば疾病やケガ、介護保険であれば加齢に伴う要介護状態のリスクを社会全体でカバーすることを想定しており、自民党若手の案によると、ここに子育てが追加されることになる。


【表】日本の社会保障制度で採用されている社会保険方式 出典:筆者作成


 しかし、子育てとはリスクなのだろうか。子育てに要する費用が家計を圧迫したり、その負担が女性の社会進出を妨げたりしているのは事実だが、予期せぬ事態が個人の生活を不安定化させているとは言えず、大数の法則に基づいてリスクをカバーする社会保険方式ではなく、税金で負担を求めるのが筋である。


 さらに、社会保険方式の下では反対給付が原則となるが、こども保険の場合、未婚の人、子どもを生まない人、生めない人、生めなくなった人は反対給付を期待できない。つまり、「負担あって給付なし」の状態の人が多くなる。こうした負担はやはり税方式で対応するのが正道であり、以上の点を踏まえると、「こども保険は半ば思い付きの話ではないか」との心象に至る。


 もうひとつ重要な論点がある。「保険」を名乗るのであれば財源の中心は保険料になり、所得に賦課される保険料の負担は現役世代に集中する。言い換えると、こども保険の発想は現役世代に給付するため、現役世代の負担を増やすことを意味している。


 しかし、年金、医療、介護などについて現役世代の負担が重い現状を考えると、現役世代の負担を一層増やす是非を考慮する必要がある。世代間の負担については、社会全体で助け合う「社会連帯」の現れであり、損得勘定だけで論じられるべきではないが、世代間で負担を分かち合う手段のひとつとして税負担、特に消費税増税が実施されていないにもかかわらず、「現役世代を支援する」という名目で、現役世代だけに負担を強いるのは均衡を逸していると言わざるを得ない。


 一部には、教育費に充当することをめざす「教育国債」構想と比較し、「実質的には赤字国債と同じ教育国債よりも、こども保険は財源を伴っているだけマシ」という指摘もあるが、こうしたトリッキーな案しか出て来ないことに政治の劣化を感じざるを得ない。


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丘山 源(おかやま げん)

大手メディアで政策形成プロセスを長く取材。現在は研究職として、政策立案と制度運用の現場をウオッチしている。