前回は1963年の老人福祉法の制定から、73年の老人医療費無料化までに向かう時代背景と、そこに至る政策路線の微妙な変転をみた。その中では、すでに老人福祉法制定の際に、当時の与党自民党の草案が、高齢者の「健康」に焦点を当てて、人的資源の確保を含む地域健康政策に関してある程度のバリエーションのある考え方を示していたことが明らかになった。にもかかわらず、老人福祉法はいわゆる金でカタをつける方法論のほうが優先され、それもその選択を推進したのはどうやら当時の厚生省であるらしいことも推認されることも示した。


 老人福祉法制定以後、健康に焦点をおいて住民、とりわけ高齢者の健康管理、そのための各種のインフラ整備、啓発活動に取り組んだのは、一部地方自治体であった。この地方の独自政策の中でメディアも関心を寄せ、さらに高齢者の支持を得られるための短絡的な福祉政策として為政者が注目したのが「老人医療費無料化」だ。


 一部の地方自治体が健康政策に注目したのは、皮肉なことに早くから医療費、特に国保に及ぼす医療費負担、あるいは当時は年金をはじめとして所得の貧困だった高齢者の医療費自己負担を減らしたいという思惑が中心だった。しかし、健康づくり、あるいはリハビリなどの社会復帰機能の充実には関心が払われず、焦点化されたのは一定の低所得の高齢者に対しての医療費の無料化策だった。


 なかでも、美濃部亮吉・東京都知事の東京都での老人医療費無料化政策は、保守と革新という権力闘争の渦中の中で、美濃部氏に大きな支持を集めさせた。東京という大都市でこのような政策が必要だったのかどうかという検証が大きな話題になったことはない。


 筆者は、この当時に、立体的な高齢者福祉、健康づくりも含めたシステマティックな研究や検討、無料化策だけに集約する福祉のあり方に関する反証がなかったことに不思議な印象を受ける。当世流にいえば、老人医療費の無料化はまさにポピュリズムを誘導する道具でしかなかった、と見ざるを得ない。


●飛んでしまった高齢者の保険制度論議


 老人医療費の公費負担化(一部無料化)は老人福祉法以後、69年度頃から70歳以上を対象とした一部負担軽減策として何度か論議はされている。特に、この間の議論の中では、医療保険制度の抜本改革の中で語られることが多く、公費負担の流れを作るのなら、「老齢保険制度」を作るべしという、公的保険のあり方に関する議論が並行する。これはその後の制度改革、あるいは後期高齢者医療制度などにつながる話であり、実は大事な論議が行われていたという状況も記憶されるべきである。しかし、公費負担制度、いわゆる70歳以上の老人医療費無料化の当時の流れは押しとどめようがなかった。


 72年の厚生白書には、「ますます深刻化する老人医療費問題に関し、70年9月に開かれたわが国初の『豊かな老後のための国民会議』においても、同年11月中央社会福祉審議会から厚生大臣に対して行われた『老人問題に関する総合的諸施策について』の答申の中でも、老人医療費問題についてはその実態の緊急性にかんがみ、早急に結論が出されるべきであるとの意見が強く出された。」と記している。


 この当時、地方の独自政策はすでに急速に進んでおり、72年1月現在で37都道府県と6指定都市が無料化政策を実施に移している。厚生白書は、こうした状況とあわせ、「国民世論の支持もあって」、「73年1月からの無料化実施が決定された」としている。むろんこの時も所得制限など、一定の歯止めはついていたが、無料化の対象者数は当時で382万人と推定されていた。


 この制度は73年2月時点で、受給者は387万4000人に膨らんでおり、当時の70歳以上人口492万1000人の79%に達していた。ほぼ8割の70歳以上高齢者がこの政策の恩恵に浴したことになる。「国民世論の支持」はさらに継続していたフシがうかがえ、73年7月には所得制限の緩和が行われ、10月には65歳以上の寝たきり老人も対象となった。


 73年12月の対象者は435万7000人で、70歳以上の8割を超える水準となった。これによって何が起きたか。大幅な受診率のアップだ。


 70年の国民健康調査によれば、65歳~74歳の有病率は25.70%、75歳以上は24.95%となっている。現在で言うところの65歳以上高齢者のほぼ25%が何らかの病気を抱えていると自覚していたことになる。ところが、同年の受療率は65歳~74歳11.68%、75歳以上は9.93%である。病気は自覚しているが、受診はできないという状況に多くの高齢者が遭遇していたのは事実であり、受療を誘導する政策が必要だったことは自明である。


 しかし、受療とともに、正しい健康管理なども啓発する具体策が必要だったはずだ。繰り返しになるが、62年の自民党老人福祉法原案では、この点の認識が明瞭に示されていたのである。当時の世論、あるいは一定のイデオロギーの立場からは、そうした面倒な政策を忌避し、「無料化」というシンプルな提案に拘泥したのではないか。72年厚生白書の「世論の支持」は、厚生省もシンプルであることに阿ったようにみえる。


 無料化政策が始まった時点での老人医療費受診率をみると、制度がスタートした1月の受診率は59.4%。受療率と受診率を一概に比較するわけにはいかないが、70歳以上の高齢者の受診動機が制度の開始で一気に高まったことは推定できる。さらに、この制度に対する知悉は一気に進み、3月には77.0%、6月には80.8%、9月には84.1%にまで拡大している。入院は2.5%%から3.5%、3.8%と伸びてはいるものの緩やかだが、入院外は1月の56.8%から9月には80.3%にまで伸びた。


 対象者の老人医療費総額は1月が約75億円に対し、9月は128億円。9ヵ月で1.7倍に膨らみ、特に同制度が外来受診の動機を爆発的に高めたことは間違いない。かくして医療機関には外来受診する老人で溢れるようになった。いわゆる病院のサロン化は数字だけ見れば肯定できるということになる。この傾向はその後も続き、75年には総数で受診率は90%を超え、入院外も87%のアベレージとなり、入院外は76年には90%台に入っている。


●受診できない老人はいなくなったが…… 


 こうした老人医療費の無料化は、数字で見る限り、高齢者の受診意欲を大きく高めた。受療率が低かった70年代初めの、「受診できない高齢者」の問題は一気に解決したように思えるが、受診率のハイペースな向上は、つまるところ患者を増やしたのである。


 医療の大量生産と大量消費の引き金を引き、「高度成長病」の遺伝子は21世紀に入っても膨れ上がる高齢者に引き継がれていったのだ。


 老人医療費の無料化は、高齢者の受療率を引き上げるには一定の役割を果たしたという点は是認しなければならない。しかし、この辺りを境にして、受診へのハードルが一気に下がり、病気と患者は大量に社会に吐き出されたのである。薬を出さない医師には批判も強まり、患者はイコール消費者となって、「医療市場の王様」化していく。患者は「お客様」になった。さらに、「患者様」へ、後年なってしまう。(幸)