とんでもないドタバタ劇の中で通常国会が閉会し、週明けの首相会見では、白々しい「反省」の言葉だけが空疎に語られた。ところが、その直後にはNHK『クローズアップ現代+』が、加計学園問題への萩生田副官房長官の関与を示す新文書をスクープし、官邸の狙う幕引きを見事に粉砕した。


 それにしても、ワイドショーなどを見ていると、ここ数年、メディアに蔓延した“政権忖度体質”はいまだ根深いもののように思える。文科省と官邸・内閣府。曲がりなりにも記録文書を出したのはどちらであり、ここ1~2ヵ月、ウソやごまかしを積み重ねてきたのはどちらの側なのか。それを考えれば、両者を対等に扱うことは、明らかな欺瞞である。「記録はない、覚えていない、しかし文科省文書はウソだ」。そんな釈明は通用しないことを、なぜもっとバッサリ言い切ることができないのか。


 先の会見で官房長官を執拗に追及し、加計文書の“追加調査”を勝ち取った東京新聞・社会部女性記者の奮闘を思い浮かべると、週明け首相会見で、事前に用意した質問と回答を“朗読”して終了した官邸記者クラブの質疑応答は、げんなりするような茶番劇だった。


 こうした体たらくを見ていると、報道機関に政治部というセクションは本当に必要か、という思いまで湧いてくる。政権からのリークを受けるメリットより、モノが言えなくなるデメリットの方が何十倍も大きい。その昔、中国の文化大革命時代、朝日新聞は日本メディアで唯一、北京に支局の維持を認められたものの、中国政府の顔色をうかがってその立場を生かせず、大批判を浴びたものだった。最近の御用メディア、御用記者を見ていると、“権力の懐に飛び込む”より、たとえ遠吠えになろうとも、日刊ゲンダイのように好き勝手書くほうが、よほど本筋を見失わない気がする。


 今週の週刊誌各誌は、加計問題をこじらせた菅官房長官の稚拙な対応に首相やその周辺が苛立ちを見せていること、一方で、もうひとりの“官邸の実力者”今井尚哉秘書官が官房長官の不手際に上機嫌でいることなどを報じている。


 週刊文春は『読売「内部文書」スッパ抜き!』と題し、前川・前文科事務次官の“出会い系バー”通いを、まるで犯罪性のあるスキャンダルのように取り上げた“異例の記事”に対する読売読者の反発・拒絶反応を特集した。


 文春が入手した読売の内部文書によれば、“出会い系バー報道”以後、解約に言及した読者の声は300件を超え、加計問題報道全般への意見は2000件以上、その多くが批判の声だったという。記事には読売販売店主による「私も自民党の新聞だと思いますし、こんな新聞読みたくないわと思います」というコメントまで紹介されている。来春の読売内定者には、NHKや朝日新聞に行く、として内定を断る学生も相次いでいるという。


 迷ったらやめておく。この学生たちの判断は間違いなく正しい。朝日やNHKに入社しても“読売的な記事”を書くことは可能だが、読売で“非読売的”な記事を書くことは不可能に近い。文春記事にも読売は“鉄の組織”と形容され、今回、複数の読売記者から証言が得られた驚きが強調されていた。


 ただ一言、文春に釘を刺しておけば、御用記者問題で、あの山口敬之氏のレイプ疑惑に関しては、氏を重用し、その著書を出してきた同誌は未だに口を噤んでいる。ともに仕事をした人間関係もあり、書きにくさは充分に理解できるが、彼の疑惑の卑劣さは、人としての一線を越えている。どこかで決断は必要であろう。


 週刊新潮には『「豊田真由子」その女代議士、凶暴につき』というタイトルで、悪名高い“安倍チルドレン2回生議員”にまた現れた人格破綻議員、その常軌を逸した秘書への罵倒と暴力の日常が報じられている。昨今の政治家が一般より抜きん出ているのは、権力と支配への執着心だけで、時にこれと衝突する人間性・モラルの水準は、総じて人並み以下に見える。そう思わざるを得ないほど、ここ数ヵ月の政界はマンガチックである。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。