命を取り扱う医療現場では、「正解」がない問題は多い。そんなテーマを8つ取り上げ、医療の現場で働く人たちにインタビューしたのが、『医療者が語る答えなき世界』である。
第1章では、病院側のルールで、機械式の入浴をさせられ、スカートのゴムさえ買いに行けない高齢者のケースを取り上げる。
機械式の入浴では、〈一人の入浴にかかる時間は三分程度であり、一人が終わると、すでにストレッチャーで待機をしている次のお年寄りと交換となる〉。ゆったりお風呂につかる、という感覚からは程遠い。〈決まったスケジュール通りにすべてを動かすことを最優先する病院の都合〉だ。
一度でも入院した人なら、病院の都合を最優先する姿勢に違和感を覚えた人も多いだろう。夕方の食事は5時台、9時には消灯。普通に働いていれば、そんな時間に寝る人はいないはずだ。
ただ、こうした病院の効率主義を「医療者側の問題」と、一刀両断に批判できない部分もある。
完全に患者の要望に応えるような対応を求めれば、今以上に人手や手間はかかる。実現しようとすれば、医療費や食費、差額ベッド代は大きく上昇するだろう。
患者にとっては不快な環境でも、〈療養型病院に入れてしまえば、受け入れ先を探す煩わしさから解放されるという家族の都合〉もある。
第2章の考察は興味深い。実は、〈高齢者の抑制(拘束)が広がり出した時期と高齢者をとりまく医療制度が大転換した時期が重なっている〉という。
国民皆保険が実現するまでは、自宅死が病院死を大きく上回っていた。しかし、国民皆保険の導入、老人医療費の無料化が実現したことで、〈死を病院任せたい人々と、それを引き受けビジネスとして成立させたい人々との需要と供給がかみ合〉い、病院死が在宅死を上回るようになった。
著者は、病院による高齢者の受け入れが増える過程で、〈身体抑制は、大勢の高齢者を低コストで受け入れるために生まれた〉とみる。
■エビデンスという新たな権威
仕事をしていると統計データから得られた結果と、現場の肌感覚が合わないこということがしばしばおこる。医療の世界でも、〈科学的根拠〉が問われるようになって久しいが、第3~5章は〈医療と科学の関係を現場の実践から探〉る。
治験データの改ざんは論外としても、適切な治験を行った新薬でも、予期せぬ副作用が問題となることはある。〈エビデンスもガイドラインも不確実の池の中でゆれている〉。 〈科学的根拠に基づいた医療を行おうという考えは理念としては素晴らしいだろう。しかしそれは、エビデンスという新たな権威を作り出す結果となった〉。
一方、西洋医学的なエビデンスがない、漢方医学をどう考えるか? 効果を実感している医師や患者に受け入れられてはいるものの、江戸時代までの地位からはほど遠い。
著者が言うように、〈生のつまづきに対し絶対的な一つの解を出すことは不可能〉である。それだけに、本書はさまざまな視点から自分や家族の「生」を考えるきっかけになる。国民皆保険制度の成立や、細菌の発見による手術の発展、漢方が衰退した過程など、歴史的に大きなインパクトを与えた制度上、技術上の変化についても触れられており、読み物としても楽しめる。(鎌)
<書籍データ>
磯野真穂著(ちくま新書800円+税)