「画期的な治療法を開発」「従来の説を覆す新発見」――。
長らく医療や医薬品の業界を担当していると、こうした新聞記事に触れても、「本当に実用化できるのか?」「10年後でしょ」などと、少々、斜に構えた態度で読んでしまうようになる。結局、実現に至らなかった新技術は多い。そしてひっそりと消えていく(ヘルスケア分野に限った話ではないのだが……)。
「線虫によるがん検診」も当初は少々“疑いの目”で見ていた。
「どうやってがんの匂いを検知するのか?」「検知の精度は?」「生物を使うのに、検診の品質・安定性をどう確保するのか?」「コストは抑えられるのか?」「大量に供給できるのか?」「がん種がわからなくてよいのか?」
『がん検診は、線虫のしごと』は、こうした数々の疑問に答えてくれる一冊である。
著者は、線虫によるがん検診「N-NOSE」の開発を主導した広津崇亮氏。もともと九州大学の研究者だったが、この技術を実用化するべくベンチャー企業を立ち上げている。
線虫は〈線形動物門に属する動物の総称〉だ。ヒトに寄生するギョウチュウやカイチュウ、魚介類に寄生して食中毒を引き起こすアニキサスなどは、耳にしたことがあるだろう。
がん検診に用いられるのは、「シー・エレガンス」という線虫。土壌中にいる。匂いを受け取る嗅覚受容体が約1200と犬(約800)の1.5倍、人間(約400)の3倍もあり、研究者の間では、鋭い嗅覚を持つことで知られていた。著者はこの能力を活用しようと考えたのである。
〈N-NOSEは、がんがない人を「がんがない」と判定する確率(特異度)が91.8%です。がんがある人を「がんがある」と判定する確率(感度)も84.5%と高いのですが、がんがない人を「がんがない」と判定する確率も非常に高い〉という。従来の腫瘍マーカーと比べても非常に高い精度、かつ、尿を用いるので、体への負担も小さい。
一方、シー・エレガンスはマウスやショウジョウバエ、大腸菌などと同様に、〈モデル生物としてさまざまな研究に使われている〉。世代交代が早く大量生産が可能なうえ、〈生まれるのはクローンですから、遺伝的な個体差もありません〉。しかも、冷凍保存ができるという。つまり、均質な検査の安定供給が可能なのだ。このため検査費用も、8,000~9,000円程度と安価に設定される予定だ。
■難局に克つ経営者としての知恵
「なぜがんに着目したのか?」「どのようにして線虫ががんを検知することを証明していったのか?」。本書に記された「研究者としてのエピソード」は、優れた研究者の研究へのアプローチを垣間見ることができるコンテンツだが、もうひとつの読みどころは、著者の「経営者としての顔」に触れた箇所だ。
“大学発”のバイオベンチャーは、過去にも数多く生まれてきた。しかし、医師や研究者がトップに立ったものの、マネジメント能力の不足から経営が立ち行かなくなり、企業から去ったり、アドバイザー的なポジションに追いやられたりしたケースは少なくない。
「巨額の資金調達が可能なベンチャーキャピタルを選ばず、銀行系のキャピタルから調達した理由」「臨床試験のコストを抑えるために著者がとった方策」……。難局に直面したときに出てくる著者の知恵には驚かされる。
従来がん検診といえは、がん種別にさまざまな検査が用意されていて、バリウム検査など体への負担が大きいものもあった。簡便かつ高精度でコストも安いN-NOSEは、このがん検査のフローを大きく変える可能性がある。例えば、N-NOSEでがんのリスクを検査(1次スクリーニング)し、リスクが高いと判断された人だけを従来型の検査(2次スクリーニング)に回すという方法だ。
がん治療の世界が変わる可能性もある。N-NOSEはがんの早期発見に強いとされているが、著者は〈開腹手術が減り、内視鏡手術が主流になる〉という未来を予測する。〈がんが小さいうちに見つかるため、内視鏡で対応できる位置にあるがんならば、手術は内視鏡で済むから〉だ。手術自体も減る可能性がある。
N-NOSEの実用化の予定は2020年と間近に迫る。2022年には、次世代検査としてがん種を特定する検査の実用化をめざす。N-NOSEの真価はこれから試されるが、報道から、わずか5年で実用化に漕ぎ着けるというだけでも正直、驚きだ。(鎌)
<書籍データ>
広津崇亮著(光文社新書820円+税)