祇園祭の前祭(サキマツリ)の山鉾巡行が無事終了したようである。祇園祭は7月1日から31日までの期間であるが、やはり前祭と後祭(アトマツリ)の山鉾巡行の注目度が高い。動く美術館とも言われる山と鉾は、てっぺんにある真木の先が鉾であれば「鉾」、松の木であれば「山」であると見分けられる。つい先ごろまで筆者は後祭の山のひとつである黒主山の保存会町内に住んでいたので、7月いっぱいは祭関係の町内行事があったり、巡行前の宵山でチマキやグッズの販売を手伝ったりと、この時期は何となくそわそわする期間であった。 


 後祭期間に入り山が建てられると間近でそれを見ることができた。山の真ん中にはまっすぐな松の木が、下に水を張ったバケツをあてがわれて、真木として立てられる。松の木1本丸ごとが青いポリバケツに活けられた様子を、木と縄で組まれた土台の隙間から垣間見られるのも、町内ならではかな、と思っていたものである。


 マツは日本の山野には普遍的にあって、いわゆる日本的な行事や風景には重要なアイテムであるが、さらに薬用植物という面でも話題にすることができる植物である。とはいえ、樹皮や葉をそのまま生薬として利用するというのではない。幹や枝を傷つけると吹き出してくる松ヤニと、マツの根に発生する菌の菌核が薬用にされるのである。 


 松ヤニは、これを水蒸気蒸留して精油成分であるテレビン油と、それ以外の樹脂成分が中心となるロジン(コロホニウム)に分けて利用されることが多いようだが、いずれも特別な薬効がある素材というよりは、薬用に限らず様々な工業製品原料として利用されている。他方、菌核の方は、茯苓(ブクリョウ)という生薬であって、日本で使用される生薬類の中でもトップクラスに使用量が多い生薬である。 


 


 日本産野生の茯苓。真ん中あたりの細い筋が、絡みついていた松の木の根の跡。 


 菌核というと耳慣れない言葉かもしれないが、要するにキノコの菌糸の塊である。マツホドとも呼ばれる茯苓は、マツの根を抱きかかえるようにして大きく膨らんだ塊となり、大きさや形は様々である。マツの切り株の根、つまり、生きているマツではなく死んだ、あるいは死にかけのマツの根によく発生するらしいが、日本にはマツの木がたくさんあるので、昔から土中の茯苓を ”茯苓突き” なる鉄製の先の尖った棒で突きながら探して掘り出して集めることが一般的に行われていた。野生の茯苓が漢方薬に使われていたのである。近年は、培養で大きな菌核を作ることができるようになっており、培養して作られた茯苓が中国から輸入されて各種漢方処方に配合されている。


中国市場で販売されていた「茯神」。各ピースの真ん中あたりにある丸いものが松の木の根。 


 中国の市場に並んでいる茯苓は、真っ白で、ドミノだおしのピースか小さめのタイルかといった形態である。これは、大きな塊の菌核の茶色い外層を除いて真っ白な内部だけにしたものを、四角い形に切りそろえてあるのである。触れば少し粉っぽい感触で、噛むと独特の風味がして歯にまとわりつくような感覚がある。


  



 茯苓が漢方処方に配合される時には、漢方の基本的な概念の「気」「血」「水」のうち、「水」を調節する生薬として利尿作用等が期待されるほか、古典に基づけば、精神安定作用も期待できるという。中国の市場では ”茯神” といって、マツの根を中に抱き込んだ茯苓の輪切りが、茯苓とは別に分類して売られている。これはいわば ”芯のある茯苓” であるが、そこに神という漢字を充てるあたりは、精神に作用する生薬を思わせるネーミングである。


 菌核を生薬として利用するキノコとしては猪苓(チョレイ)などもあって、利尿作用を期待するところは茯苓と同じであるが、さらに精神安定作用が期待されるのは茯苓だけのようである。これも、身近な存在でありながら松竹梅のトップに座するマツに発生するキノコであるからなのか、また別な理由があるのか-成分研究ではこれといって特別な成分は検出されておらず、今後の科学研究が何かを教えてくれるのか、期待してみたいところである。 


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伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969年大阪生まれ。京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けばずっと京都大学にいるが、研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれており、途上国から先進国まで海外経験は豊富。大学での教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多い。